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今週の喝 第608号(2016.12.12〜2016.12.18) この世は全て催眠だ(350)〜肩こりは万病の元!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(350
〜肩こりは万病の元!

 老子の説く“無為”とは、この世の摂理である「道=法則」を正しく感受するために必要なバランスの整った、決して偏らない心です。我々を歪ませているのは、とりもなおさず自分自身の“我”ですから、いっそのこと自分を無くしてしまえば、我も無くなるという単純な発想から行き着いた究極の回答です。
 では、無為になれたかどうかのチェックはどうすれば出来るんでしょうか?道教を初めとして、あらゆる宗教は簡単に「無になれ!」とか、「偏るな!」などと示唆してきますが、これほど「言うは易く行うは難し!」と言えるものはありません。
 そこで、心と身体の関係を振り返ってみましょう。我々の肉体は、柔軟なほど能力を発揮します。その証拠に、我々が日常的に使う言葉の中で、例えば、「頭が硬い」といえば、融通が利かないとか頑固というふうに悪い意味で使われています。「りきむ」「しゃかりき」も“力”を込める意味ですが、余り良い結果を想定できない言葉です。これらは長年月の我々人間に共通した体験則から出たものですので、まさに、老子「柔能く剛を制す」と宣った究極の回答と合致します。何事も柔らかいことが成功の条件なのです。
 また、我々の身体をみても、病気の名前には、「肝硬変、心筋梗塞、動脈瘤、引きつけ」など、身体が硬くなることで発症すると想像させるものが多くあります。強いて言えば、身体が硬くなると病気になると言っても過言ではありません。身体が硬くなるというと最も身近な現象に“肩こり”があり、「肩こりは万病の元」と言われるくらい、肩がよく凝る人は病気を発症する確率が高いのです。肩こりとは単純に筋肉が緊張しているだけのことですが、口で言うと簡単なこの症状は、心と身体にとてつもない不愉快さをもたらし、尚且つ、自分自身でその緊張解除をすることはとても困難です。
 
★★体も心も、思うようには動かない!★★ 
 従って肩こりは、我々は人にマッサージを施してもらうことで緊張解除をします。「肩こりは、肩の力を抜けば治る!」……これは論理であって、実践では不可能に近い所業です。つまり、自分の身体なのにも関わらず思うようにならないのです。自由自在という言葉がありますが、何事も自由自在に出来るようになるには、それ相応の鍛錬や訓練が必要なのです。身近なところでは、楽器演奏やスポーツの上達には才能が関与するといいますが、その才能の第一は、身体(筋肉)を如何に上手く柔らかく出来るかなのです。私もFluteをかれこれ50年以上吹いていますが、調子の悪い時、またスランプといわれる症状に陥った時を冷静に見てみると、全てに力みがあります。ゴルフの下手な人のプレーを観察すると、単純に“力ゴルフ”……クラブを力尽くで振り回しています。楽器やスポーツに限らず全ての行動に於いて、“力尽く”が失敗の原因、下手くその頑強です。
 そして、身体が力んでいる時は、我々の想念もマイナスの方向に働いています。上手くボールを打とうとしているゴルファーは、よく考えてみると、「上手く打とう」という発想が湧くことこそ、「上手く打てない」と思念しての発想であって、自分の技量に自信が無い証拠なのです。この思念が、身体が硬直させるのです。このように、我々人間は物事を上手く遂行させようとすると、不安が過ぎるように心のメカニズムが働きます。これを「意思反作用の法則」といいます。
 それなら、思わなければいい!というのも、これも机上の空論で、実際には我々はあらゆる行為行動をした結果、現在の状態を体現していますから、頭脳は思わないでおこうとしても、身体が今までの記憶を甦らせるから不可能です。つまり、“偏らない心”=“無為”の状態になるには、心の統御だけでは無理だということです。我々は、身体そのものが記憶装置、コンピュータでいえばハードディスクドライブに今までの記憶が記録されているのです。従って、“無為”とは何も考えなければいいこと!と言われても、人間は身体を持っている限りそれも不可能なのです。
 このように、身体も心も自由自在に操ることは不可能に近く、為す術を得ないかに見えました。しかし、これも体験則から、己の身体を柔らかく、また心をプラス思考に持ってゆく方法を感知しています。
 あなたも経験したことがありますが、“喧嘩”をしたり、また“怒り”の状態に入った時、「ま、落ち着いて……!」と、手のひらを下にしてモノに蓋をするようにして宥(なだ)めます。決して、手のひらを上にして「まぁ、まぁ……」と煽(あお)るようにはしません。そして、そのように宥められた側も、段々落ち着いてくると、身体の力みは取れ、心も冷静さを取り戻すと同時に、頑固さも薄まってきます。
 さてその時、我々は力んでいた時と落ち着きを取り戻した時、何が大きく違うのでしょうか。それは“呼吸”が穏やかになっているのです。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/