M&Uスクール

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今週の喝 第606号(2016.11.28〜2016.12.4) この世は全て催眠だ(348)〜「悪」を引き寄せるのは、あなた自身の性質に在り!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(348
〜「悪」を引き寄せるのは、
 あなた自身の性質に在り!

 私たちは、自分の利得(楽と得)になることを与えてくれる者を「善人」と認識します。大概の詐欺師はこの「善人」です。この世には、「道(タオ)」=法が存在する限り、そこに“楽と得”などありません。「道」には例外はないのです。例外を求める心……強いて言えば「欲望」がある以上、その人間の欲望を利用して詐欺師は人を欺すのです。これが「催眠商法」で、悪の代名詞になっているから恐ろしい!
 また、凡人は“悪の代名詞”だからという理由だけで闇雲に嫌うため、研究しようとはしない! だから、催眠という心の法則(メカニズム)が分からない故に、欺される人間が後を絶たないという悪の連鎖が起こるのです。
 世の薬は、その用い方を誤れば全てが毒になるのと同様に、世の毒と思われているものは、その用い方一つで薬になる事は必定です。だから、ここに長年月を掛けて「この世は全て催眠だ」を書き続けているのです。
 端的に言うと、催眠商法に引っかからないためには、催眠商法の手口をシッカリ勉強する以外にないのです。すると、その手口は、用い方によっては、素晴らしい成功への糸口(道しるべ!)になるのです。
 世の“詐欺”を研究すると、必ずその被害者がいて加害者の詐欺が成立しています。(当たり前のことですが……)そして、その被害者は、常に彼らの心に「楽と得」ともう一つ「正常性バイアス」が巣くっています。「正常性バイアス」とは、自分は事故や災害、犯罪や詐欺には掛からず常に安全な位置にいると闇雲に信じている心(偏見)です。
 あなたは、自分の心にこの二つの悪癖があるかどうかチェックしてみて下さい。このように言って、「面倒だな」ともし思ったら、確実にこの二つの悪癖はあなたを支配していること必定ですさぁ、素直になって、自分の心の中を正直な気持ちで探ってみて下さい。
 
★★「透明なセロファン」で世間を見よ!★★ 
 植木等の「スーダラ節」の歌詞(元東京都知事・青島幸男の作詞)に、
  ♪だましたつもりが、チョイとだまされた。
   俺がそんなにモテるわっきゃ(訳)ないよ。
   分かっちゃいるけど止められねぇ。
とあるように、人間は須く、事故に遭い、詐欺に掛かり、犯罪に巻き込まれた時に、その真理に気付くのです。このように「後知恵」ですから、ことわざにある「転ばぬ先の杖」を持つ人は本当に少ないのです。いや、ことわざ自体が我々人間の「楽と得」に対する警鐘を鳴らしているのにも関わらず、我々が“正常性バイアス”でそれを打ち消しているため、犯罪や悪の種は無くならないのです。
 今こそ、「楽と得」を求める醜悪な心の存在に気付き、老子の説く「無為」の心、透明なセロファンでこの世を見る目を養わないと、いつまで経っても、人間の能力を最大限に引き出すことのできる「催眠法」すら、悪徳商法の技法と思い、それを大活用をすることはできないでしょう。
 もう一度言いますが、無為とは何もしないことでは無く、目標と目的(道)の完成のために、この世の法を正しい眼で判断(正見)するための心構えです。
 この無為の心で、自分の人生を正見してゆくと、先ず、我々が如何に間違った認識をこの世に持っていたかに気付くことでしょう。
 上杉鷹山(うえすぎ・ようざん)の師匠、細井平洲(ほそい・へいしゆう)は、
 「徳の高い人は、木のことを熱心に考えて実を得る。小人は、実のことばかり考えて実を得ることがない」
と実と木の関係に例えて、我々の目先のみの判断に警鐘を鳴らしました。
 本当に、我々人間は根本(法則)を見ることができないでいますね。これも全てが、横着性(楽得)の為せる業です。先にも書いたように、「面倒くさい」と思った時から、人生の敗北が始まると思って間違いありません。
 老子が人生の生き方を、「道・徳・無為・柔」と簡潔に表すことができたのは、大自然のあらゆるものは一つの法則性で成り立っていることを感知し、それを“道(どう)”と名付けたのです。釈迦は「般若心経」の中で、総ての物を成り立たせている根本的エネルギーを“空(くう)”と説いているのと、老子の言う“道”は、同じことを指していると私は解釈しています。ですから、観自在菩薩が“般若波羅密多”の行(ぎよう)を深く励行した時に感じ取ったのが“空”ですから、般若波羅密多、すなわち「智恵の瞑想」の中で、“無為”を感じ取ることが大切なのです。般若波羅密多とは、透明なセロファンで世間を見る……その為に、自分自身の邪念や欲望を払拭することに気付け! と言うことなのです。すると、先ほど言った「我々人間がほとんど全てのことを逆さまに解釈している」ことに、気付くのです。
 老子はそれを、端的に「柔(じゆう)能(よ)く剛(ごう)を制す」と述べたのです。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/