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今週の喝 第600号(2016.10.17〜2016.10.23) この世は全て催眠だ(342)〜大半の人間は「とりあえず信じておこう」のレベル〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(342
〜大半の人間は「とりあえず信じておこう」のレベル

 姓名判断……字数のマジック!
何故かは分からないけれど、そこに厳然と実際に効力が存在する不思議。先回、これを宇宙論の「ボーデの法則」になぞらえて話しました。宇宙(私たちの人間社会も含んで)は、まだまだ不思議な事が多々ありますね。“素数”(自数と1以外では割れない数)……これは逆に、法則化できず、無限個あることを紀元前300年も前にユークリッドが発見?しています。(出来ないことも発見というのでしょうか)
 古来よりの統計で、「良い名前」「悪い名前」があることが判明し、愛情溢れた親ならば、誰しも良い名前を付けてやりたいと思うのは人情です。しかし、姓名判断という“統計”を根拠にしただけのものを、現代科学の下に育った、それも、大多数が目に見えないものを信じない無神論者的な現代人は、にわかには信じられないでしょうし、また、無神論者ではないにしても、このような姓名判断が存在することを知らない人もいることでしょう。
 こんな見地から、姓名判断を含む占いや宗教的なご祈祷などとの出逢いは、その人間の根底にある思考能が、目に見えない(科学的解明のないものも含む)エネルギーを「信じる」「信じない」かに掛かってきます。そしてその上に、
 「未だ解明されていないのならば、一応保険の意味で信じておこう!」
と割合にイージーに考えている人も大勢います。もしかしたら、初詣や縁日などはこの類いの人間が大半かもしれません。
 また、反面には、頑なに血液型占いを信じ、それを振りかざして周りに不愉快な思いをさせてまで、その正当性を主張する人間もいます。ここでは紙面の都合から解説は避けますが、血液型占いは、現在TVなどのマスコミでは論拠がないことが証明されたため、放送されていません。私も一言
 「あれは、論拠がないよ」
と言った途端、血液型占いマニアから
 「そういうことを言うあなたはB型だ」
と言われ、
 「なるほど、当たっている!」
と感じ、思わず血液型占いに填まるところでした。
 
★★「姓名判断」を信じる人は……!?★★ 
 何はともあれ、得体の知れない占いや運勢など目に見えない世界、方程式化されていない世界を信じる、信じないの2パターンの人間がいます。そして、その中間に「とりあえず信じておこう」型が大半ですが、その内実(姓名判断の場合は統計の賜物)を知らなくても、そこに子供に対する愛情があれば、敢えて悪い名前は付けないでしょう。
 ですから、根拠はないと言えども統計的結果によって導き出された「姓名判断」を大切に考える人間、延(ひ)いては子供を愛している人間は、その呼び名を韻律や心地よい響きにしたいと思うはずです。そして、世間では、その名前が少々思い入れが強すぎて重たくなった名前など、それを簡素化したニックネームで呼ぶことも屡々です。例えば、「松五郎」という名の人がいるとします。彼は「松五郎さん」と呼ばれると、かしこまってしまうかもしれません。そこで親しい人は「松っちゃん」と愛称化します。私が名前を付ける時には、このように愛称化されることも考慮に入れて命名します。
 我が息子は「一弘(かずひろ)」と申しますが、この命名は、姓名判断の大家でもある「おもいで酒」の作詞者高田直和先生にお願いしました。その時のことを振り返ると、
 「この子が将来、一つの事業を成してトップとなった時、威厳を持たせて“イッコウ”と音読みでも呼ばれるようになる。また、そんな人間に育って欲しいねぇ」
と言いながら名付けて下さいました。
 名前は「愛の証し」と私は考えていますし、「おい!」とか「誰かおらんか?」と不確定人称で呼ばれると、“物扱い”されているように感じます。ですから、愛されて育った子供は、その固有の名をフルネーム、愛称の区別無く、多く呼ばれた子なのです。
 逆説的に、子供に心底愛を感じている親は、「姓名判断」を用いて名付け、その為に命名をプロに任せることも儘あります。不思議な事に、私など姓名判断をかじった者は、その人の名前を見るだけで、どれだけ親からの愛を受けて育ったかが伝わってきます。そして次に、その人の姿勢と振る舞い、最後に歯並びを観察すると、完璧に親の愛情レベルが分かります。
 私の結論ですが、「姓名判断」は“正しいか否か”ではなく、“如何に愛情が注がれているかどうか”だと思っています。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/