M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第599号(2016.10.10〜2016.10.16) この世は全て催眠だ(341)〜良いことで名を呼ばれた子は、良い子になる!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(341
〜良いことで名を呼ばれた子は、良い子になる!

 姓名判断は、正しいか否や?
 私は、正しいと思います。命名する、名前を付けるということは、私たちの人生において、一体どのようなことを意味しているのでしょうか。このような命題を知ってか知らずか、夏目漱石の名作“吾輩は猫である”の書き出しは、
 「我が輩は猫である。名前はまだない!」
から始まります。猫は放浪癖がありますから、近所を探す時も、名前がないと、とても不便でしょうね。ま、動物はさて置き、我々人間は、この世に生を受け、そして、やがて死んでゆきます。これは神が人間に与えた唯一の平等です。
 人は、生まれてから死ぬまでの人生という時間を、自由に生きる権利を持っていますし、また、守らなければならない色々な掟もあります。そうした枠の中で、私たちは出来る限りの範囲で、楽しく生きようと努力します。これは、考え方の相違があるにせよ、人生の偽らない姿です。しかし、いくら努力しても報われない人間、逆にそんなに深刻なことを考えていないのに、意外とスイスイ人生を歩む人間と色々な人間がいます。
 こんな現実の中で、親は、自然と自分の出来なかった望みを我が子に託そうとします。中には、子供の将来のコースまで定めて、雁字搦めに子供を縛り付ける親もいます。このように親が子供を自分の思い通りにしようと締め付けて、子供が親の言いなりになれば問題は無いのですが、今までもずっとこのコラムに書き続けているように、“不快”な状態にて、押さえつけられて何とかなるような人間は、それこそ、成人してから立派な仕事をすることは無いでしょう。
 では、どうすれば良いのでしょう。それは、心から愛児の幸運を願い、その思いが子育ての間中、子供に伝わることが大切です。
 
★★何故かは解明されていない「姓名判断」★★ 
 M&U SCHOOLも催眠法をLessonする時に、皆さんに催眠に掛かった時を体験して貰います。催眠に誘導されない人はいません。その理由は、催眠とは“快”への誘導であり、その心地よさの上にこちらの意図を伝えることで、想像力と覚知力が増し、現実と想像の区別がなくなる人間の性質を応用しているのです。
 欲しい物をくれると聞いただけで、私たちはワクワクします。まだ、貰っていないのに……! また、明日彼女とデートと思っただけで、心ウキウキして中々寝付けません。また、好きな車を注文したときから、その車が納車されるまでの間の期待感は、そこに少々イヤなことがあっても受け流せます。
 これらは総て、未来への“快”のイメージからくる心の統御です。大きく捉えれば「催眠」なのです。ここにあるメカニズムを凝縮して方程式化したものが「催眠法」ですから、“期待する”ということは、すこぶる大きな快感を与えます。そして、“期待される”側も、その期待が圧迫や重荷に感じない限り、とても心地よいものです。そして、期待する心が行動に繁栄されると「期待される人を常に第一にしたい。自分はその次で良い」という感性に支配されます。その感性こそ「愛する」ということです。
 尋常な親ならば、子供を愛するのは当然の行為です。そして、自分が育てられてきたことを鑑みて、適切な子育てを行う親は子供を愛し、そして、その子供が自分の足で行動できるように見守ってゆきます。子供に対して、どのような姿勢で臨むのか、子供がいたずらをした時、言葉で叱るよりも、親が悲しい表情を見せる方が、子供は感じ取りやすいのです。それでは、言葉はいつ用いるのが適切かというと、それは“褒める”ときに有効です。良いところは言葉を用い、悪いところは表情で示す。なぜなら、言葉の威力は凄まじい故、叱る時に用いると萎縮するくらいの効果がでます。また、悪いところ、不穏当なところを表情や態度で示そうと思えば、叱る側は全身全霊でなければ伝わりません。この精一杯の行動がまた、「愛」を相手に感じさせるのです。そして、褒める時に用いる言葉は、その子自身の名前をどれだけ多く呼んで貰ったかによって、その効果が決まってきます。
 男女の恋愛も同様で、「あなたを愛してる!」より「忠洋さんを愛してる!」と言ってもらった方が心にグサリときます。そのように“名前”は大きなパワーを持っているのです。こんなことは、愛ある人間なら潜在意識で感じていることですから、自然に自分の子供には良い名前を付けようとします。
 良い名前とは、先ずは呼んで心地より響き、韻律を持っていることです。侍の時代、元服と同時に「吉法師」が「信長」、「竹千代」が「家康」としたように、偉大な総大将の名が「吉法師・竹千代」では様になりません。これは何故かと問われても、雰囲気としか言いようがありません。ですから、その人間の役目や役割にふさわしい響きや韻律を求めている内に、人は、その中から統計を取り始め、長年月の統計の中から「姓名判断」という、字画による判断材料が生まれたのも不思議ではありません。
 話は変わりますが、我々太陽系の惑星の位置関係を計っているとき、不思議な数列を天文学者ティティウス・ボーデが発見しました。いわゆる「ボーデの法則」ですが、何故その数式なのかはボーデも分かりませんでした。しかし、その数列を用いて後に天王星が発見されました。
 このように、何故かは分からないけれど、そこに厳然と実際が存在する……それは統計的結果から“仮説”として実行力を発揮することもあるのです。
 「姓名判断」もこのような性質のもので、古来より「良い名前」「悪い名前」が実際に人生の善し悪しに関係しているから不思議です。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/