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今週の喝 第595号(2016.9.12〜2016.9.18) この世は全て催眠だ(337)〜宗教や占いは相対的産物!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(337
〜宗教や占いは相対的産物!

 さて、先回は「おみくじ」に付いての催眠効果をお伝えしました。もちろん、中には
 「おみくじは神様のご選択だ!おまえは不謹慎だ!」
と憤る向きもおられることでしょうが、それこそ、“目に見えない世界”故、どちらとも言えず、断言することははばかられます。しかし、それが神のご選択であるか、神道の偉い神主さまや仏教の高僧、また、高島易断の方々が認(したた)められたものであるかは別として、どちらから見ても、人間の生き方のバランスを説いていることに間違いありません。
 しかし、素人(宗教関係者ではない者)がこのような占いやみくじに一度取り憑かれたら、それこそ血液型に填まった御仁のように頑なになり、それを信じる者と信じない者との間に対立を生じさせ、ギクシャクした人間関係を作ります。言ってみれば、このような人達は、宗教や占い、精神世界のニューサイエンスを「絶対」と捉えるため、その解釈がいびつになり、凝り固まって嫌な雰囲気を醸し出します。俗に
 「それ、宗教じゃないの!?」
と、宗教を忌み嫌うような発言が多く見られるのも、このような間違った宗教観をもった(凝り固まった)人間達が如何に多いかという証でしょう。
 先回もお伝えしたように、その見分け方は、人間の運勢はその人間自身が選択する事象(選択肢)と優先順位で決まりますので、それは、その人間が自分の人生で培った経験則(経験と勘)が基準です。従って至極簡潔化すれば「内面で決まる」のです。ところが、凝り固まった宗教観、謝った宗教解釈をする人間は、厄災は「外界からもたらされる」として、“厄介払い”をさせようとする故、明快に分かります。
 つまり、自分の運勢を自分の所為であるとしたものは正しく、外側から来る厄災とする考え方は間違い!と思って下さい。
 
★★真の宗教は、相対的概念で出来ている★★ 
 あらゆる宗教、それから派生した「おみくじ」や「占い」は、それに関わる人間を幸福にするのが本来の目的であり、その教えによって苦しみや厄災から救われなければなりません。
 人間の本質は、「寄らば大樹の陰」とことわざにあるように、少しでも楽得が出来ればその方向にシフトします。従って、自分の意思や思考で人生上の判断や決断をするより、誰かの言いなりになった方が楽だと無意識に思っているのです。「無意識に思う」とは、これは不思議な言い回しに感じられるでしょうが、もっと簡潔に言えば「癖」となっているのです。しかし、ここにもう一つ、人間の「癖」である“名誉欲”があるため、自分より劣っている者や同等の人間の言うことは「聞かない」と同時に、「聞けない」“我”を育みました。しかも、そのような人間(=凡人)は、自分より秀逸な人間を認めたがらない(ルサンチマン)ですから、優れた人間に会っていてもそれに気付きません。そして、それら凡人は、他人を見下すことで自分の上位性を感じようとしますので、必然的に礼儀や節度を欠く行動を取ります。その結果、礼節を欠くと人間は、必然的に礼節を欠いた人間から敵対視されることを、これまた無意識に感じますので、そこに「恐怖」が生じます。何事も、我々が恐怖に感じるのは、「礼節の無さ!」が原因です。
 一括りにまとめると、ほとんどの人間(凡人)は、楽得を求めながらも、人より秀逸に見られたいという相矛盾した感覚に冒されています。これを、白隠禅師「戯論(けろん)」と呼び、人間の心からこの排除を呼びかけています。
 矛盾(戯論)が心に蔓延って、人間の幸福はありません。そこで、衆生(凡人)は、人間以外に“大樹”を求め、それが「天・神・仏」など逆に目に見えないが故に、どんな解釈もまかり通る存在に託したのです。しかも、楽得という横着性が手伝って、絶対的存在として「天・神・仏」を受け入れれば、礼節の無さから生じた“恐怖”の払拭が出来る感覚を得ると同時に、あらゆる原因を「外界」の所為にして、自分から発したものではないという責任転嫁ができ、また、自分と同じ感覚を持たない人間には、「罰(バチ)が当たる」というような概念を導入して、恐喝めいた流布すらします。
 このように、本来、我々を幸せに導いてくれるはずの宗教は、それを信じる者(利用する者)の手によって歪められてきました。これも、俯瞰的観点から見ると「催眠」なのです。
 さて、ここまで分かれば、私たちは宗教・占いなど我々を取り巻き我々以上の大きなパワー(Something Great)を正しく解釈し、我々を幸福に導いてくれる本来の姿を正しく見ることが出来ます。
 その根本は、「宗教とは相対!」ということです。つまり、宗教(占いなども含む)は運命を良き方向に導く為の教えであり、その運命は、自分自身の“選択肢と優先順位”=「原因」によって決定されますから、そこに生じた「結果」から、逆に“選択肢と優先順位”を修正してゆけば良いのです。
 茶道が自然界の全てに順応しながら素晴らしい調和を生み出し、我々人間に“快”を与える「もてなし」の心を編み出したように、我々人間は全ての事象に「相対的」に対応することが、幸福の秘訣なのです。
 このような意味から、絶対化した宗教などあり得る訳もなく、相対性の極意は、その“対応力”こそが自分自身の人生を歩むパワーであることは、一目瞭然です。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/