M&Uスクール

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今週の喝 第592号(2016.8.22〜2016.8.28) この世は全て催眠だ(334)〜この世の「当たり前」の偉大さに気付け!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(334
〜この世の「当たり前」の偉大さに気付け!

 保険セールスを生業としている人が、私の提案で2週間のスマホレス生活に挑戦する羽目になりました。
 私が想像しても、その不便さや不安を考えると気が滅入りそうになります。では、なぜ私はそのような提案をしたかというと、いままで便利な世の中が「当たり前!」と思っていたことが、実は大変な技術の集積で出来ており、その恩恵に十分預かっておきながら、「料金を払っているから、それでチャラ!」というような安易な考えに気付いて欲しかったからです。
 私は、この世の中に「当たり前!」などというものは何もないことを信条としています。スマホショップに行き、一定の金額を払えば、至極簡単にスマホを利用することが出来ます。しかし、いまのiPhoneの大きさにするには、もの凄い数の人間の根気と努力が集積された賜物なのです。
 そのようなことを感じなくても、スマホは使えます。しかし、そこに技術の集積を感じる人は、その恩恵に感謝すると同時に、全ての物事に意味を感じ、感謝の何を抱きながら生きてゆく姿勢を作ることでしょう。つまり、何事にも丁寧になるのです。
 普通の人間は、人に丁寧にするのは面倒くさいと思いますが、丁寧にされることは至極快いと感じます。つまり、人間とはとても矛盾の多い生き物なのです。
 キリスト教の新約聖書を荒っぽく解説すると(神様、お許し下さい)、「黄金律!」の一言に集約されます。それは、
 「自分がして欲しいと思うことは、他人にしてあげなさい」
という論理です。それは、みんな人間である以上、同じ感覚感性で生きている訳ですから、自分が欲することは、他人も欲しています。だから、他人を優先することで、相手の情を動かし、自分に対して情を傾けてくれるようになり、そこに友愛が生まれることを示唆しているのです。
 
★★スマホレスから大いなる気付きを得る!★★ 
 さてさて、スマホを無くした外交員は、たちまち現在進行中のクライアントの連絡先が分からないことで冷や汗を垂らし、どうすれば良いのか悩みきって、私に相談をしてきました。そこで、
 「電話番号が分からなければ、実際にこの会社に行けば良いじゃない!」
と言うと、見る見る顔が
 「そんな面倒なこと、出来るわけがない!」
といった表情を見せましたが、そこは、背に腹は代えられず出向いて行き、スマホレスの事情を話してその困窮を伝えました。すると、クライアントは、
 「よく足を運んでくれたね」
と歓迎とも同情ともとれる複雑な感情で迎え入れてくれたと同時に、
 「せっかくだから……」と、小さな保険契約の見積もりを新たに要請してきたというのです。
 “いろはかるた”の1番目に「犬も歩けば棒に当たる!」とあります。この意味は、犬がうろつき歩いていると、人に棒で叩かれるかもしれないと言うところから「出しゃばると災難に遭う」という意味に使われていましたが、現在では、“当たる”という言葉の印象から、
 「何かをしている内に思いがけない幸運に巡り会える」
という真反対の解釈が成されています。
 現代人は、合理化という怠け心隠蔽の言葉のために、大切なもの……そう、相手に出向くという“足労”を避けて、「楽してもうけるスタイル」の追求ばかりしていたのですね。
 人間とは面白いもので、このように一度良いことが起こると、今まで私にムキになって出来ない理由を並べ立てていた人間も、何か良いことありそうな予感がしてきたのでしょう……、大切なクライアントの所に足を運び出しました。それと同時に、同じ職種の隣人に、申し訳なさそうに
 「ちょっとスマホを貸して下さいませんか?」
と理由を丁寧に話すと、「どうぞ、どうぞ!」と嫌な顔をする人など一人もいないことに気付き、自分だけが「貸すのは嫌だ!」と思っていたように感じたといい、大反省をしていました。
 そして、気安くスマホを貸してくれた人を、今までの感覚とは違う感性で見るようになり、同僚ととても親密な関係になれたと話していました。それまでは、同じ仕事仲間といえど「敵対的関係」のように思っていたのが、恥ずかしくなったとも言っていました。
 もちろん、このように良いことばかりが続いたわけではありません。スケジュール管理までスマホでしていたのですから、約束の訪問日が分からず、先方がスマホに苦情の電話をしても出ないので、会社に直接クレームを申し入れられたりもしました。しかし、そこでも、その失態を、出向いていって丁寧なる謝罪と、「このようなことは二度とないように……」と、これからの意思声明をしっかりしたことで、やはり失態が好印象に変わったようなこともあったと言います。
 総合的には、やはり文明の利器スマホ紛失は、その外交員にとっては実損の方が多かったようですが、本人は「良い勉強になりました!」と、以前にはない明るい表情で、周囲の人たちに対しても“共に進む仲間”という感覚で見ることが出来るようになったという報告を受けました。
 結論を言うと、社会を生き抜くエネルギーは“自分自身の考え方や感じ方にある”のです。つまり自分が自分のことをどのような人間と思っているかによって決まると言っても過言ではありません。
 スマホ紛失事件は、そのことに気付くための大いなる試練だったのです。もしかしたら、神様がわざとお隠しになった?のかもしれませんね……。これも、その人の考え方ですが……。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/