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今週の喝 第589号(2016.8.1〜2016.8.7) この世は全て催眠だ(331)〜大自然界の調和したバイブレーションは、究極の快!〜

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潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(331
〜大自然界の調和したバイブレーションは、究極の快!

 凡人六原則第6項「類項作用」…この世のあらゆるものは、その固有周波数ともいうべき、バイブレーション(波動)で引き合っています。それは“調和”という形で溶け合います。それが「類項作用」です。ただし、その調和は、美しいものは美しいもの同士、汚れたものは汚れたもの同士共鳴し合うのが難点ですが……。
 それは、音楽に於けるハーモニーの世界のように、基音C(ド)の波長が半分の長さになればG(ソ)の響きになり、そのまた半分になれば1オクターブ上のC(ド)、そしてそのまた半分はE(ミ)、またその半分は1オクターブ上のG(ソ)と倍音定理があります。今の音を総て同時に鳴らせば、トニック(ドミソ)主和音のハーモニーができます。それはとても心地よい響きです。すなわち、この心地よさ(快)こそ調和そのものです。
 モーツァルトベートーヴェンの音楽が単純で軽快、且つ印象的なのは、このトニックのハーモニーを大切に作曲がなされているからです。
  それは光の世界でも全く同様で、すばらしい絵画を始め、大自然界の風景や宇宙の絶景……どれを見ても息をのむものばかりです。音や光だけではなく、味や香り、また触れ心地など互換感性総てに同様のことがいえます。
 人は眼・耳・鼻・舌・身の五感感性の触覚を、常に「快」に向けていると言っても過言ではありません。大自然界のもたらす「快」……それは、総てが調和したときに生まれます。
 このように、音楽や絵画など芸術そのものが大自然界のバイブレーションを基準にし、その素直な響きや色・形に「快」を感じる故、この世に古典(Classic)として厳然と時を超えて普遍的に私たちを感動せしむるのです。強いていえば、大自然界は感動の響きで満ちあふれた世界です。それを、我々人間は素直に感じるようにできているのですが、その人生の過程で欲にまみれ、大自然のバイブレーションを感じる感性を、欲望に翻弄されて泥の中に置き忘れた人間の何と多いことでしょう。
 
★★人間は大きく2種類に分かれる★★ 
 人間の五感(眼・耳・鼻・舌・身)をコントロールする司令塔は、人の心(意)です。般若心経では、この五感をコントロールする“意”を加えて、六根(眼耳鼻舌身意)と人の感性を表しています。
 たとえば、人の金銭欲一つとっても、大多数の人間が金銭欲に翻弄される故、人間本来の性質であるかのように思いますが、よくよく考えれば、それは個人個人の性質に由来するものです。
 分かりやすく言えば、お金がないことが貧乏なのではなく、お金のないことを貧乏と思う心があるのです。世の中には、ほんの少数かもしれませんが、お金より大事なものを見いだし、それに邁進している人も私の周りにはいます。科学者や発明家、または芸術家の中には清貧に甘んじながらも自分の目指す道にひたすら突き進んでいる人もいます。私の師匠である、マエストロ・宇宿允人(うすきまさと)先生は完璧にそのタイプでした。音楽の権化と言っても過言ではなく、四六時中ご自分の感性を音楽の中においておられました。私も師の爪の垢くらいはその感性を引き継いでいるかもしれません。
 私たちは、人を見るとき、「金金金!」という“金の亡者”的な人間と、金には恬淡としてそれ以上のものを目指している人間を比べると、ほとんどの人間が後者を「格好良い!」と感じて選びます。自分が金の亡者的な人間であっても……。
 このように、人は自然界や人間界に於いて、調和のとれた美しいものに引き寄せられる“意(心)”をもっているのです。白隠禅師の有名な句「心」には、
  「心こそ、心惑わす心なれ。心に心、心許すな」
と、明らかに自分の中に欲望(感情)の心と、理想(理性)の心があり、その葛藤の様子が見事に描かれています。
 もう一度、お金の話に戻しますと、私の研究では、お金がないことを貧乏と思っている人は、その考え方感じ方の基準が常に自分にあるのではなく、世間にあると思っています。この世で、素晴らしい人生を送ったと思える人を研究すると、その人生の舵取りは自分自身であり、自分の行動に於ける結果は全て己の責任であると認識しているのが特徴です。
 先週お話しした、豊田商事・金詐欺事件の被害者の方々も、「金が儲かる」と自分の努力以外の“相場”に手を出して、まんまと騙されてしまったのです。まさしく「類項作用」がきっちりと働いています。
 従って、大きく分ければ自分の運命を決定している要素を、①自分自身にある、と思っている人と、②世間の風潮(外界)に自分の運命は大きく影響されている、と感じている人の2種類なのです。
 先般も言いました、この世の全ての動物の共通項である「合理化」の観点から見ると、外界に責任転嫁した方が“楽”であることは確かです。人間には名誉心が厳然と心の中に横たわっているため、自分の所為で失敗することは羞恥心を刺激するからです。よって、「言い訳」をして名誉を守ろうとします。これも可笑しなことですね。失敗の言い訳をしていることを「格好良い」と、自分自身が知らない内に思ってしまっているのですから……。
 これが「凡人」の大いなる特徴なのです。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/