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今週の喝 第578号(2016.5.16〜2016.5.22) この世は全て催眠だ(320)〜理性は教育から生まれる〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(320
〜理性は教育から生まれる

 以前にも申しましたが、人間の運命はその人が脳回路に作り出したその人の基準“選択肢と優先順位”によって決まります。
 現在では大変失礼な話しと思われますが、古来より女性は男性によってその運命が決まってきました。現在では、女性蔑視と言われるかも知れませんが、その傾向は往々にしてあるのは事実です。しかし、その事をもの言おうものなら、バッシングの嵐です。つい先日も、大阪の中学の校長先生が、「女性は、良い子を産んで……云々、その後で、大学に行けば良い」などと言ったがために、ワイドショーを喧しく賑わしました。
 私も、感情的な立場から言うと、女性は子供を産む道具的発言のように解釈しましたが、生理学見地から見ると、我々男性は子供を産む機能を天から授からなかったのですから、女性に子供を産んで貰わなければ子孫を残すことが出来ません。そのような考えからすれば、「天の使命」を今の教育では全く考慮していないことに対する反駁・警鐘と感じます。ただ、その表現や先入観に満ちた報道陣の質問に、これまた感情的になった校長先生の表情や言葉、そして投げやりな態度がとても悪印象をもたらしたことも事実ですが……。
 ですから、我々人間社会に住むものは、“正しいvs間違い”という理性的判断だけで成り立っているのではなく、“適切vs不適切”の感情的判断を考慮しなければならないのです。
 感情的判断とは単純に“好きvs嫌い”ですから、その好嫌がその人間の“選択肢と優先順位”を決めていると言っても過言ではありません。なぜなら、人間が「理性的判断」をするには教育の上に習得しなければ、もって生まれてきたものである「感情的判断」に浸食されてしまうからです。あらゆる生き物の本質は、楽と得を求める訳ですから、殆どの選択肢と優先順位は間違った方向へ歪むのです。だから、《催眠法とは快》と明言できるのです。
 
★★幸福行きの切符を手に入れよ!★★  
 さて、人間の運命を決める“選択肢と優先順位”が感情を基本に育まれた人……途中で理性的判断を教育によって為されなかった人間は、自分の“快”(エゴ)を無意識に求める性質を持っていますので、他人との関係に於いて、自分自身の都合と事情で「嘘と隠蔽」を平気に行います。厄介なのは、それすらが無意識だからです。
 ここに600回近くこのコラムを書いているは、そのような無意識に於ける運命決定条件“選択肢と優先順位”が理性的に正しいかどうかを再確認する為のものです。
 どんなに素晴らしい能力や頭脳を持っていても、それを正しく用いないと、それが優秀である故に凶器に変貌してしまうことも歴史を見れば歴然としています。勉学とは、このように才能を正しい方向に用いることを修得するためにあるのが本筋です。しかし、今の教育は記憶装置としてだけ頭脳を用いる訓練にしか過ぎません。つまり、本当の勉学は、正しき心を育むことであって、優秀な頭脳を作るのは第二の目的でなければ、我々人間社会はどんどん歪んでゆくことでしょう。
 その歪みの根本は、心の教育の最も原初的な「礼節」の無さから始まります。孔子の説く五常《仁・義・禮・智・信》“仁”とは、我々人間が暮らす社会に於いて、他の人間のことを思いやる真心のことです。孔子の弟子、孟子はその心を「四端説」にまとめ、《惻隠(そくいん)・羞悪(しゆうお)・辞譲(じじよう)・是非(ぜひ)》の実践と端的に言っています。
 ●惻隠とは、弱者の気持ちになる心。
 ●羞悪とは、悪を憎む心。
 ●辞譲とは、生意気にならない心。
 ●是非とは、善悪が分かる心。
これをシッカリと教育された人間は、“義”すなわち温かい人間関係を立派に結ぶことが出来ます。そこに生まれた“禮(礼節)”は、キリストの説く「黄金律」=自分がして欲しいことは、他の人にせよ! の如く、バランス感覚が身に付きます。それは、他者と堂々と、マルチン・ブーバーのいう「我と汝の関係」で勇気をもって育んでゆくことができ、その関係自体がとても美しくまた感動に満ちたものとなって行くため、そこに恐怖心や後ろめたさなど微塵も存在しません。
 シッカリとした教育を受けなかった人間は、単純に言って“礼節”に欠きますから、常に何かに怯え、そこから逃れるために「嘘と隠蔽」で周りを固め、挙げ句の果てには、「縁を切る」ことも苦しさ紛れにしてしまうのです。そのような人間は、その場という空間的情緒は確保できても、将来、必ず人間関係破綻を起こしますので、時間経過から鑑みると、「不幸の片道切符」を手に入れたことなのです。しかし、当人には「幸福行きの切符」のように思っているから、救いようがありません。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/