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今週の喝 第567号(2016.2.29〜2016.3.6) この世は全て催眠だ(309)〜時間は、“長さ”ではなく“濃さ”!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(309
〜時間は、“長さ”ではなく“濃さ”!

 この世は「浮き世」……かりそめの世である、と言われても、我々凡人には全く実感は湧きません。それは、現実とは何か?と言うことでもあります。
 人間は長らく人生を体験してくる(年を取る)と、松尾芭蕉“おくのほそ道”で、
 「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口をとらえて老(おい)をむかふる物は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。……」
と謳うように、まさに“光陰矢の如し”、あっという間に己の人生は過ぎ去ってしまいます。この瞬き(まばたき)にも似た短い人生に、我々は喜怒哀楽を繰り返し、悩み、苦しみ、迷い、惑います。
 我々人間は、自分の人生、自分の置かれた場所からしか世間を見ることが出来ません。「他人の花は赤い」「隣の芝生は青い」と形容されるように、自分の心に妬み(ねたみ)や嫉み(そねみ)の心があると、自分自身が悲劇の主人公のような“錯覚”に陥ります。その結果、自分だけが、悩み、苦しみ、迷い、惑うように思ってしまうのです。
 では、本当はどうなのでしょうか?福沢諭吉
 「天は、人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」
と、著書「学問のすすめ」で人間のこの世での平等を訴えましたが、これは全宇宙規模で当て嵌まると私は思います。私は“天”を“時間”と解釈し、人間社会に当てはめてみると、一日の長さは皆平等であり、それを何にどれだけ使うかによって、その価値は決まります。
 私は思うのですが、時間というのは、人の一生を決める大切な要素です。そして、その生涯を長生きした人、短命だった人に関わらず、平等であるとするならば、時間はその長さに重要性があるのではなく、どれだけ熱心に集中力(情熱)をもって、その瞬間(時間)を生きたか(過ごしたか)ということになります。
 
★★“錯覚の世”に於ける必須カリキュラム★★  
 私も64歳になって、矢の如く過ぎ去ってゆく日々に恐怖すら覚えたこともありました。武田信玄の晩年は、口癖のように「時間が足りぬ!」を連発していたと言いますが、では一体信玄はどれだけの時間があれば、自分自身が満足のゆく足跡を残すことが出来たのでしょうか。私が思うには、いくら時間があっても、彼の性質ならば一つのことを達成したあかつきには、また、次の目標が生まれ、結局、決して終わることのない進歩を求めたと思います。
 ベートーヴェンが、第9交響曲「合唱」を作曲し、その曲が壮大で尽きることのない(飽きることのない)エネルギーを感じさせ、まさに彼の人生を飾る“終極の美”のように我々が思うのは、彼自身完全に聴覚を奪われたにも関わらず、努力を惜しまず音楽という最高の美を求め続けた精神の高揚と情熱にその鍵があると私は考えます。
 それは、音符一つ一つに込められたベートーヴェンの瞬間瞬間の生き様が精神エネルギーとして凝縮され、彼自身の恐ろしいまでの執念が、私たち後世に生きる者達に波動となって押し寄せてくるのです。それを分析すれば、そのことに打ち込んだ「集中パワーのたまもの」です。
 天によって平等に与えられた人生の優劣を決定する要素は、その人間が作った“所業”ではなく、その瞬間瞬間に発揮した“情熱”にあると私は考えます。
 勝手な妄想かもしれませんが、もし、あの世に地獄極楽が存在し、その分岐点に閻魔大王(えんまだいおう)がいるとすれば、この情熱度合いをその人間の判定基準としているように思えてなりません。何故なら、情熱は奮い立つ感動(バイブレーション)を発信するからです。感動こそ、エネルギーの根源なのです。
 あっという間の人生……と感じる今日この頃は、人生(時間)は「長さ」ではなく「濃さ」だと思うようになりました。そして、私が子供の頃に見た世間の光景とは、現代社会は全く違う世界です。昭和33年に初めて東京タワーの展望台から眺めた光景は、いまだ深く心に残っています。見渡す限り東京タワーに勝つものは富士山以外にない……今は、大展望台と同じ高さのビルに埋もれて、エッフェル塔を双璧のレトロな姿の遺産的魅力となっています。そう、全ては諸行無常なのです。
 このように日々変化を遂げるこの世、それこそ10年で浦島太郎の心境になる現代は、まさに“錯覚の社会”です。こんな日々変遷する世に流されて、浮き草のように根無しの生涯では、生きてきた証すら残すことができません。だからこそ、「生きている間の一仕事」を見つけ出し、それに完全集中できる精神と体質を作ることが肝要だと私は考えます。そして、我が人生を謳歌するには、一つのことに集中することが「快」となることを知ることです。その為にも、“催眠法”に秘められた人間の持つ「情動のシステム」を修得することは、人生の必須カリキュラムなのです。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/