M&Uスクール

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今週の喝 第565号(2016.2.15〜2016.2.21) この世は全て催眠だ(307)〜人は、無意識に自己催眠に入る!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(307
〜人は、無意識に自己催眠に入る!

 先回までのお話しは、少し難しくなりましたので、簡単に要約しますと、世の中の我々人間が感じる感性は、全てが“錯覚”と言っても良いくらい、それが本質ではありません。
 この世、我々を成り立たせている根本的なエネルギーである「空」の実体を感じることこそ本質であると、般若心経は説きます。これでも、まだ難解ですね。
 「胃が痛い」と感じるのは、「痛い」所が「悪い」のであって、「痛い」から「悪い」のではないのです。だから、「痛い」とは、悪い場所を教えてくれる“信号”なのです。しかし、人間は「痛い=悪い」と解釈します。この間違いを商売に置き換えると、上手く行かない事が苦痛の種となり、唯々「苦しむ」……そうではなく、苦しい事は自分の所業が間違っている故に起きる現象ですから、自分が間違っている箇所を見極め、そこを“修正”することが真の解決策です。
 ですから、「胃が痛い」といって、薬を飲む(私も良くやりますが)ことは、本質から離れています。胃が痛くなった原因(飲み過ぎ、食べ過ぎ、心配性etc.)を、改善しなくては、いくら「胃痛」という“現象”を抑えられても、根本的には解決していませんので、いずれ、その症状は悪化し、修復(治癒)出来ない状態へと進化し、やがて胃潰瘍や癌になって“死”に至ることもあります。
 「胃痛」を“経営ミス”や“失恋”と解釈しても同じです。すなわち、自分の所業(行動の結果)がその状態をもたらしているのであって、自分のやり方を修正すること以外、根本的解決はもたらされません。しかし、人間は、その凡人六原則の初めにあるように「私は正しい」という観念を持って生きると気が楽なので、「自分が間違っている!」という概念を肚に据えることは、至難の業です。
 単純に言うと、人間の“内側”と“外側”で、悪いことや不幸は「外側の所為」、良いことや成功は「自分の所業(内側)」と思うと、とても快いですね。“快”こそ催眠の根本です。人は“快い”方向へ流される……つまり、自分自身で自分自身の催眠に嵌まっているのです。それも、全く無意識に……!
 
★★“空”の実感こそ、「悟り」★★ 
 般若心経の説く“空”のエネルギーは、人間で言うと「完全なる健康」の時には、五感六根(眼耳鼻舌心意)を意識することなく、つまり、苦痛も快楽も無い無意識の状態=「無眼耳鼻舌心意」であると説いているのです。
 このように話すと、「えっ?快楽も不健康なの?」と疑問が返ってきます。そう!快楽も不健康なのです。“楽”を感じると言うことは、それ以前に“苦”が存在していたことになりますね。人は“苦”から、それこそ「正しい道」を探し出すように出来ています。しかし、病気になり医者に頼ったとして、殆どは治癒した原因を質し、これから注意をして生きて行こうという科学的思考の人間は稀です。殆どの人が、ただ健康が元の状態に戻っただけ(元気)で、それを快楽と感じ、一時の“歓び”としますが、やがて、時が過ぎるとその歓びが「あたりまえ」と感じるようになって、歓びが失せてしまいます。
 天は、そこで人に気付きを与えるべく試練を課しました。それは、「あたりまえ」と感じることこそ、全ての成功の素であり、「あたりまえ」と感じる=無意識になることこそ、“空”の凄まじいエネルギー(と言っても、あまりにも偉大すぎて我々凡人には感じません)が、我々を正常な状態に維持してくれている……それが「無眼耳鼻舌心意」だと示唆し、その無意識の状態を維持するために、自分の心でこの“無”の状態を意識することが肝要であるのです。そこで、この無の状態を意識するために、「あたりまえ」に一日が過ごせたと言うことは、空のエネルギーに包まれていた訳ですから、それに対する「感謝」を抱くことで、自分の心身の健康を意識化し、再び歪まないように微調整することを気付かせたのです。これを、「精進」といいます。
 ですから、完全な健康(身体も会社も)を維持するには、上手く行っているからといって、歓びはしゃいでも一時期のもので、やがて忘却し、また元の木阿弥に戻ります。今、健康な状態にあるということの根本に意識を持ってゆき、その状態の維持のためには、歓びはしゃいでなどいられないことを悟った人間は、平常(無意識)こそ“感謝”の対象であることを教えたのです。だから、美しいものを見たり、素晴らしい音を聞いたり、芳しい香りを嗅ぎ、美味しいものを食べることに“快”を感じることで、心までも奪われかねません。だから「その成り立ちを考えよ!」と般若心経は説くのです。
 「無色声香味触法」とはまさにこのことです。例えば、料理人は、その「味」に感激し、その感激のまま悦(快)に入りっぱなしということはありません。その味の成り立ちを考え、その味を再現しようと努力に努力を重ねます。そして、その味を越えるものに挑戦して行く気概が生じて、同時に“苦”も生まれます。そして、その“苦への挑戦”が、成功することで“快”がもたらされますが、そこに満足できないのがプロです。この繰り返しの中から自分がこの世に生まれ、「料理人を生業とした意味」を見つけ出します。これが“悟り”であり、“空”のエネルギーの実感でもあるのです。この感覚こそ、催眠(=快)を越えたことなのです。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/