M&Uスクール

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今週の喝 第563号(2016.2.1〜2016.2.7) この世は全て催眠だ(305)〜整った環境での変性意識状態は快感そのもの!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(305
〜整った環境での変性意識状態は快感そのもの!

 縁日やディズニーランドのような、大勢の人間がいるところ、野球場やサッカースタジアムなども同じですが、私たち人間は、自分の心が納得して大勢の人間のいるところでは、逆に元気が出てくるばかりではなく、少々恥ずかしいことでも、余り感じなくなり、好きな選手がバッターボックスに立ったとき、また、自分の好きなタレントが舞台に現れたときなど、「エッ!」と思うほどの大声で声援を送ったり、また、顔にペイントして平気で人前に出たりします。
 また、私も若い頃、大阪西成区釜ヶ崎の暴動を見たことがありますが、モラルや秩序が無くなった状態では、いつも大人しい人間までもが、手のひらを返したように暴れたりします。昨今では、成人式に金色の紋付き羽織姿で会場になだれ込んできて警察のやっかいになる若者達も同じです。
 彼らは、前提条件が決まっている状態では、心が解放されているので、集団心理が働き、一人では出来ない暴挙を冒すのです。集団心理とは、ある意味で、Personal Areaが剥奪された状態で、同じ境遇でフラストレーションや強い願望を抱いたときに、隣人と同化して自分を無くしてしまう心の状態です。
 私もたまに隣接する甲子園球場に足を運び、阪神タイガースの応援に行きますが、タイガースファン同士が喧嘩をしているところなど見たことがありません。普段なら、少し腕が当たっても不機嫌になる者も、夏に汗が飛び散って自分に掛かろうとも気にせず、いや、選手がホームランを打ったときなど、抱き合って応援する者さえいます。つまり、完全に心が同化して変性意識状態となっているのです。
 同じ条件、同じ環境を求める者同士が、一堂に会してPersonal Areaが剥奪された状態の時に、皮膚感覚で人は燃えるのです。関ヶ原の戦いなど昔の戦は、このような変性意識状態に置かれるからこそ、勇気を意識せずに集団心理の下に、殺戮を仕合ったのです。これは、個人レベルの「勇気」の鼓舞ではありません。まさしく変性意識状態のなせる業です。
 岡山西条の裸祭りなど、羞恥心などどこ吹く風、御神輿をぶつけ合って意気盛んです。このように、変性意識状態が生む興奮状態は我々人間のストレス解消には欠かせない脳内物質を放出し快感をもたらします。
 
★★変性意識状態は人間を麻痺させる?!★★ 
 人間は、不本意な状態、条件が異なる環境では、Personal Areaを守ろうとする性質が現れて、それが皮膚感覚(触覚)から、周りの環境を拒否します。そのようなときは亀が甲羅に手足を引っ込めたように内に閉じこもろうとしますが、ひとたび、自分から望んだ環境に入れば、逆に同じ境遇の人間を認知し、共に力を合わせようとする協調協力体制モードになります。
 子供の時の遊びで「押しくら饅頭」を思い出して下さい。Personal Areaの剥奪によってエネルギーが解放され、協力体制が出来ました。集団の力を発揮させる鍵は、Personal Areaからの解放による変性意識状態への導引だったのです。スポーツに於ける集団ゲームの熱気、それの発展系の抗争や戦争……いずれも、同じ環境と同じ心境が我々の個人意識を消し去り、その我が失せた状態の快感を覚えた人間は、再び同じ状態に入りたいと思う……つまり、また試合をしたくなる=戦争をしたくなる?のです。
 つい先日、国会議事堂前で「集団的自衛権の法案成立反対!」を唱えていた学生や平和市民団体が、身体を張って、その阻止をラウドリースピーカーから大声で叫び、集団でシュプレヒコールし、挙げ句の果てには警察官ともみ合いとなり、排除されていたニュースを見ました。私は、どう見ても彼らが平和を望んでいるとは思えず、違和感を覚えました。
 また、昔の社会党の代議士先生は「平和を勝ち取ろう!」と訳の分からない論法を展開していたのも記憶に残っています。
 このように、「戦う」という姿勢は、人間から取り除くことが出来ないのではないでしょうか。
 さて、今までのことをまとめますと、人間は気の交流のない者同士では、心を閉ざします。その状態を観察すると、暗く陰鬱で、とても悩んでいるように見えますが、その人間は、気の合わない他人との交流で自分の心が乱れるよりも、じっと自分の中に閉じこもっている方が「快い」のです。単純に、気のあった仲間との交流を知らないことが原因ですが、人間は自分の体験や知識で全ての判断をしますので、それこそ、自分自身の中に閉じ籠もることで変性意識状態になっていると言っても良いのです。
 また、ひとたび気のあった仲間達や、イデオロギーや宗教が同じ人間同士は、互いに共鳴し合い、その共振性が大きくなると、集団テロや暴動といった常識を越えた行動に出ることも屡々です。ここでは、善悪、常識といった人間の判断基準が無くなるほどになり、その暴力性そのものが変性意識状態を導くから恐ろしいですね。ナチスドイツの台頭などは、その顕著なものです。
 このように、身体を通して心が二分され、そのどちらになっても、我々は変性意識状態を誘発することを知っておいて下さい。知識は、その活用方法を生み出す原動力でもあり、そして、蒙昧な人間を良しにつけ悪しきにつ、誘導する術を秘めているのです。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/