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今週の喝 第560号(2016.1.11〜2016.1.17) この世は全て催眠だ(302)〜正しい心は、「迷い・惑い」の無い心〜

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潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(302
〜正しい心は、「迷い・惑い」の無い心

 人間の五感(眼耳鼻舌身意)は、五境(色声香味触法)を感じる器官です。般若心経には、この中枢に“意=心”が有り、心が感じ取ったものが、私たちの動向を支配しているということを示唆しています。
 私たちを支配するもの……それが“法”で、この世を成り立たせている「法則性」のことです。私たちは、この大宇宙の成り立ちの根源である“法”の下に置かれていて、そこから何人たりとも抜けだすことは出来ません。
 般若心経はこの根源のパワーを「空(くう)」と呼び、我々が色々感じる世界そのものが、「法則性の実感」にあると示唆し、その実感を惑わせるものが感覚で有り、その感覚がもたらす感性が、人間の好き嫌いを生みだし、そこに宇宙の実相が分からなくなる元があると説いているのだと私は解釈しています。
 従って、何ものにも左右されない心を取得することで我々の生命を成り立たせている根源のエネルギーに辿り着くことが出来ると解説しているのです。その何ものにも動かされない境地を取得する方法の一つに「禅」「瞑想」があり、その境地が“無”であるのです。ですから、般若心経の一節
 是故空中、無色、無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法…… を、
 「“空”というエネルギーとは、この世の社会も、人間の心の動きも、感性も感覚も、この全ての惑いもたらす要因を取り去ること=無の境地を得ることで、この世を成り立たせている実相=空を実感することが出来る」
と、私は意味付けています。とにかく、感覚に惑わされるからこそ、私たちはその根本に辿り着かないのです。
 私たちの心は、欲望という「迷い」と、世間(他人)からの誘惑による「惑い」によって、「真理」が見えなくなっています。だからこそ、“自分”で有りながら“自分”を取り除くことで、生死を超えた世界とでも言いましょうか、恐怖を克服した境地を得て、幸福感を修得するのです。
 
★★催眠を知ることは、人生の軌道修正!★★ 
 こんな面倒なシステムを天はなぜ作ったのか?……ここから先は、誰にも分からない「神の世界」ですが、私は、この惑い」と「迷い」の払拭に努力した人間を観察した結果、やはり、私たち人間同士でも“清廉=爽やか”な感覚をもたらします。すなわち「快」をもたらす人間です。“快=催眠”と大雑把に言ってきましたように、そのように清廉な人間は、その存在だけで、周囲のものは催眠状態(トランス)になります。ですから、天が我々をこの世に送り出したのは、このような「清廉性を修得させるための修練の場」と考えることが出来ます。
 神は、我々人間の心を清浄化して、その法則に合致するものだけで、理想の世界を作ろうとしているのではないでしょうか。その為に、本当に清廉性を持ったかどうかをチェックするために、“苦”を与え、その対処対策をどのように乗り切るか?最終的に「空」の実相を気付くかどうかをテストしていると思えば、積極果敢に“苦”に立ち向かうことができます。
 私は、“苦”の実体をこのように解釈し、自分を納得させています。
 「それは、本当なのか?」
と問われれば、
 「私はそのように信じている!」
としか答えられません。では、
 「なぜ、そう信じるのか?」
と尋ねられれば、
 「そう考えることそのものが、私に活力を与え、それが達成できたときに“快”を取得出来るから!」
ということです。
 何はともあれ、今までお話ししてきた、変性意識はその感覚器官(眼耳鼻舌身意)が快いときに体現されます。この快さに誘われる私たちの心こそ、心の乱れを生み出す根源であると思えるのです。沢庵和尚は、
 心こそ、心惑わす心なれ。
   心に心、心ゆるすな!
と我々に警鐘を鳴らしています。
 ですから、今ずっとお話ししている「催眠現象」は、ハッキリ言って、我々の心を乱す元といって良いのです。五感のそれぞれが惑わされる特長を持っている!それを知ることで、今自分が置かれている感情や感覚は、何に心奪われているかが理解できるようになります。そうすれば、私たちはその原因を知っていることで、己の心を補正し、歩むべき道を修正することが可能ですね。
 催眠という言葉そのものが、詐欺的な匂いを発するのも、我々の心から発する感覚……「これをすれば儲かりまっせ!」的な誘惑に乗ずる私たちがいるからです。そこには、想像力が「儲かっている」状態を喚起し、その“快”に引きずられてしまうからです。
 先回話しました、私がマヨラーになったのも、伯父の彼女の色香に小学校2年生で惑わされ、それが63歳の現在でも記憶に張り付き、それがやがて癖化して、自分の好物になっているのも、般若心経の世界から繙(ひもと)くと、催眠状態と言えるのです。つまり、好き嫌いがある事自体が催眠状態とも言えますね。
 だからこそ、豊かな感性を修得するためにも、自分の心が現在催眠状態かどうかを知ることは、一度きりの人生をそれこそ“快”で生きるためには必須であると私は考えるのです。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/