M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第558号(2015.12.28〜2016.1.3) この世は全て催眠だ(300)〜人間の覚知の錯覚〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(300
〜人間の覚知の錯覚

 人間の五感は、変性意識状態の「快」に誘われると、心を解放し、うっとりとした状態へ導引されます。また人は、知性を育む過程で、摩訶不思議な力(Something Great)の存在なしには、自分の存在すら証明できません。しかし、健康な時、あらゆる所業がスムーズに推移している時には、感覚が無意識化し、そこに何かの力が働いているなど全く「当たり前」と感じるのです。いや、「当たり前」とも感じないほど自然なのです。
 健康なあなたは、今、自分の心臓の鼓動を意識しいているでしょうか?胃袋の蠕動(ぜんどう)運動を感じているでしょうか。「無為自然」と老子が宣うように、自然体とは何も作為していないような感覚であり、またその感覚すら意識に上らないのです。
 しかし、我々の身体を常に健康状態に保つためには、心臓は休むことなく脈打ち、血液は凄い速度で体中を駆け巡り、脳回路はもの凄い数の脳神経回路(シナプス)に電気信号を流して思考行動の指令を出しています。
 翻って、我々の身体に苦痛が生じたとき、それは、痛覚を初めとする不快感が悪い箇所を知らせてくるように出来ています。
 ですが、我々の覚知は全くその逆の行動を取ります。つまり、痛いところは、その箇所が悪いというシグナルであるのにも関わらず、我々人間は、その悪い箇所(根源)よりも、痛覚の方に意識を取られ、痛覚が諸悪の根源のように錯覚して、痛覚を取り去ることに腐心してきました。そして、それに成功した結果、どこが悪い箇所か分からなくなり、どんどん原因が内在化して、最後にはより重い症状を生み出すことも屡々です。
 このような間違いを冒さず、我々が成功や幸福をものにするには、この目にも見えず音にも聞こえず、まるで実態のない存在……古来より感受性の鋭い人間によって「神」と呼ばれた「法則」を覚知することが必要なのです。しかし、前記のように、健康をはじめ、我々の生活が上手くいっているときには中々意識できないのが「法則」のです。

★★香りの世界の奥深さ★★
 そこで、人間は宗教を発明し、その宗教観の中から、この偉大な力「法=神」を感じさせようとしました。原始宗教のアニミズム(自然崇拝)でも、たき火をしてその周りを囲み、木と木を打ち鳴らす拍子木やドラムで人間の官能を刺激し、変性意識状態へ導いて心を開かせ、その許容量を上げて、神の存在を実感させたのです。
 思春期の頃、キャンプファイアで隣にいる異性に心惹かれたのも、変性意識状態のなせる業です。私も家の暖炉に薪をくべていて、我を忘れてしまったことが何度もあります。

 今まで、視覚と聴覚の変性意識状態について、宗教的感覚を例に伝えてきました。今回は嗅覚……香りの話をしましょう。
 赤ちゃんがお母さんかどうかを判別するのに、嗅覚を用いていることは昔から知られています。母の母乳や母の体臭のついたハンカチやタオルを「すきすき」と言います。赤ちゃん専用に長く用いると、その布の臭いをかがせただけで、泣き止んだり、安らかに眠ってしまいますね。それは、香りから“母”を実感し安堵の境地に入ってゆくからです。このように、香りは、特定の人物やその香りの持つ特殊な状況を連想(イメージ)させる大きな力があります。尾籠な例えで申し訳ありませんが、銀杏(ぎんなん)の実を踏んづけて、“おしっこ”を連想した経験は皆さん持っていることと思います。
 また、こんな逸話を聞いたことがあります。
 フランスの有名デザイナーのシャネルをイメージして作られた香水がシャネル5番や19番です。ココ・シャネルの晩年に作られた19番をたいそう気に入ったシャネルは、それをつけて(正式には香水は“着る”と言うそうですが)モンマルトルの丘への階段を上っていたとき、ある新聞記者が、その階段の途中で自分の書いた記事に夢中に読みふけっていました。その横を年老いたシャネルがすーっと通ったとき、その新聞記者は、思わず「お嬢さん!」と声を掛けたという逸話が残っています。これほど、香りは特定のイメージをかきたたせる効果があります。ちなみに19番という数字は、シャネルの誕生日8月19日から採られたと言うことです。
 また、本能寺で明智光秀に討たれた織田信長の葬儀を羽柴秀吉が、自分が後継者であるが如く執り行おうとしましたが、肝心の遺体がありません。そこで、秀吉は一計を案じます。それは、信長の木像を作らせてそれで葬儀を執り行おうというのです。しかも、その木像を超高級な香木で作らせたのです。その木像が行列の中心に置かれ、粛々と進む隊列からは厳かな香りが沿道に流れて、これぞ高貴なる方の葬儀だという雰囲気を醸しだし、その演出をした秀吉に民衆の心がなびいたのも、香りが醸し出す変性意識状態がもたらす集団催眠でありました。秀吉は「香りが固有のイメージを作る」という経験則から、自然にこのようなアイデアが湧いたのでしょう。
 聞くところによると、蘭奢待(らんじやたい)という奈良東大寺の正倉院にある香木などは値段が付けられないほど、高価なもの、価値あるもの、権力と比例するものです。これは“沈香(じんこう)”という香木で、「香道(こうどう)」の世界の人達には耽溺の逸品といいます。その奥深さは、私たちの官能性と比例するのでしょう。
 私たちに縁の深いことわざに「沈(じん)も焚かなきゃ、屁(へ)もこかぬ」があります。その意味は、「この世で最も高価な沈香も焚かなければ、最も金の掛からない放屁もしない」つまり、人間の性質を匂いに例えて、「良いこともしないが、悪いこともしない」“つまらない人間”のことを指すのです。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/