M&Uスクール

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今週の喝 第557号(2015.12.21〜2015.12.27) この世は全て催眠だ(299)〜変性意識研究の歴史〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(299
〜変性意識研究の歴史

 変性意識(Altered state of consciousness)は、1966年にドイツ人、アーノルド・ルードビッヒによって提唱され、後に、それを著述したカリフォルニア大学の心理学教授チャールズ・タートによって、その名前が世に知られるようになりました。 そこには、
 「変性意識状態は“宇宙”との一体感、全知全能感、強い至福感などを伴い、この体験は、時に、人の世界観を一変させるほどの強烈なものと言える」
とあり、
 「その体験は、精神や肉体が極限まで追い込まれた状態、瞑想や薬物の使用などによってももたらされる。また、催眠などによる、非常にリラックスした状態を変性意識と呼ぶこともある」
と解説されています。また、
 「トランスパーソナル心理学では、これを人間に肯定的な効果をもたらすものとして研究しており、精神疾患に対する有効は療法として、一時的にこの状態を患者に与える方法が活用されている」
とあります。“トランスパーソナル心理学”とは、1960年代に展開しはじめた心理学の新しい潮流で、行動主義心理学、精神分析、人間性心理学に続く第四の心理学のことです。それは、自己超越の概念を発展させ、人間が変性意識状態にあるとき、思いもよらない思考形態や行動様式を出すことがあるとしてきました。そして、21世紀に入って、“脳”の研究の飛躍的発展(MRIやCTスキャンetc.)によって、それが現実的研究であった事が証明されてきたのです。
 我々M&U SCHOOLは、医学的また心理学的な専門的研究をする術(すべ)こそありませんが、催眠や自律訓練法という実技指導を通して、決して妄信的なオカルティック思考に陥らないように、常に、ゲシュタルト的見地(立体的視野)から、実際の現象を通して研究しております。
 
★★キリスト教会は変性意識の殿堂★★ 
 さて、キリスト教会は、このような変性意識の学問が研究される以前から経験則で建設されてきたのですから、人間の感覚は鋭いものがありますね。
 感じることで、それを体現してしまう。この感性は、芸術的要素……つまり、五感を研ぎ澄ました境地に存在するのです。ですから、科学はこの究極の境地の条件を研究して、誰でも、何時でも、どこででもその条件を充たせば、同じように体感に近づくことが出来るようにという思いを込めて、邁進しているのです。私は、科学はまだまだ未熟な域を脱していないと思いますが、その努力の成果は感服に値します。
 “トランスパーソナル心理学”の研究は、このような芸術的感性を開花させた人の研究からスタートしたのです。何はともあれ、人間には想像を超えた能力が存在することだけは事実です。そして、それを「超能力」と呼んだのです。
 先回まで、キリスト教会の視覚的変性意識状態への導引を話してきました。高い尖塔もステンドグラスも十字架もキリスト像も全て見上げる位置に立ってました。そして、外観もゴシック様式とかロマネスク様式とか時代に違いはあれども、全て印象的な、以前話した東南アジアの寺院や仏像のように黄金の光ではなくても、その形状で我々に印象を与えるものです。これも、瞼を閉じても思い浮かぶ荘厳なデザインですね。
 次に、聴覚的変性意識状態に関していうと、ヨーロッパの教会はほとんどが石造りやそれに準じた、とても響きの良い造り……つまり、エコーが効く設計になっています。その上、巨大なパイプオルガンが据えられ、その音量はフォルテッシモで鳴らすと、隣の人間との会話など全く出来ないくらい大きいですね。その上、普通でも我々の耳には聞こえないくらいの低音(五弦コントラバスの最低弦のC)のまだ1オクターブ下が出るパイプがあり、それが教会特有の残響(エコー)と重なり合って、重低音を発生させているのです。
 また、ミサや礼拝のときの合唱隊は、大体が上の方の階で歌います。つまり、上方から天使の歌声が降り注いでくるのですから、我々人間はその存在の小ささを意識させられます。いや、神の大きさ、正しくSomething Great=“偉大さ”を予感させるのです。
 私も、二十歳代の時、大阪川口町にあるイギリス聖公会河口教会で定期演奏会を開き、バッハやヘンデルを始めとするバロック音楽を演奏しておりました。聞いている方も気持ちよいことは、そのアンケートからも分かりますが、演奏している者の快感は、それは言語を絶するくらい「気持ちいい!」のです。まさしく、「変性意識状態が大いなる能力を発揮するというトランスパーソナル心理学が正しい」ことを、実感しました。
 もう一つ、鐘楼ですが、一度その構造を見せてもらったことがあります。恐ろしく大きなベル(鐘)から、大小様々なベルが4つほどあり、それがある時刻になると、鐘を鳴らす掛かりの人が自分の全体重を掛けてロープを引っ張り町中に轟くように響き渡ります。日本の寺院の鐘もそうですが、キリスト教のそれは、複数のベルがこれも互いに干渉し合いながら鳴るので遠くまで届くのです。これも重低音の為せる業ですね。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/