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今週の喝 第466号(2014.3.24〜2014.3.30) この世は全て催眠だ(208)〜名は催眠の要素!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(208
〜名は催眠の要素!

 京都は清水の音羽の滝のほとり、大阪出身の油屋の男が茶屋で休憩していると、今日では有名な茶道具屋の金兵衛、通称「茶金」が、茶屋の茶碗のひとつをこねくり回しながら、しきりに「はてな?」と首をかげていました。
 茶金が帰った後、あの茶金が注目するとはさぞかし値打ち物に違いないと思った油屋は、茶店の主人からすったもんだの末、二両で買い取り、それを持って早速茶金の店へ……。番頭に
 「五百両、いや千両の値打ちがある」
と息巻くも、どう見てもただの茶碗、
 「うちでは取り扱えない」
と埒があきません。
 しかし、引き下がらず、無理矢理茶金を呼び出して、事の次第を聞いてみると、ヒビも割れもないのに、どこからともなく水が漏れるので、「はてな」と首を傾(かし)げていただけでした。
 意気消沈した男は、ヤクザな己の生き方を茶金に語ります。しかし、そこは茶人の茶金!
 「二両で自分の名前を買ってもらったようなもの」
と、その茶碗を油屋から、更に一両付け加えた三両で買い取ることにし、この金を持って親元に帰って孝行するように諭します。
 この話が評判になり、関白・鷹司(たかつかさ)公により
 「清水の 音羽の滝の音してや 茶碗もひびに もりの下露」
と、詠まれます。さらには、この話が時の帝に伝わり「なてなの箱書き」が加わります。この様に立派な肩書きがついた茶碗の噂が鴻池家の耳に入り、とうとう千両で売れてしまいました。
 茶金は、油屋を呼び出し、千両の半分五百両を渡します。大喜びの油屋!
 後日、再び茶金の元を訪れ
 「十万八千両の大儲け!」
と叫ぶ油屋。茶金が問いただすと、
 「今度は水瓶の漏るのを持ってきました」

★★ブランドとは催眠!?★★
 この物語は有名な落語「はてな?の茶碗」のあらすじです。その道で有名な人間は、一挙手一投足を見られていて、その人間の行動そのものが「規範」になる……言い換えれば、無知蒙昧な人間は常に欲に目が眩み、真似追随しか出来ない事を面白おかしい落語にして、民衆に伝えているのです。
 催眠の要素から言いますと、「類推の憶測」が起こったのです。現代でも、有名タレントが、おかしなファッションやヘアをすると、街ではその真似をする人間が出てきて、やがてブームになることもあります。真似をするファン達は、そのスタイルの良し悪しなど分からずに、「格好良いのだ!」とばかり、街を闊歩します。ブランド品を身につける人間も、値段が高いから良いものであるという認識程度で、流行を追っているのです。(ブランド志向の方、ゴメンなさい)
 しかし、これこそ“ブランド力!”
少し話は逸れますが、以前次のような出来事が起きました。
 ある有名ブランドの革職人が、自社から革やファスナーを盗み、自分でいつも作っている最新型のバッグを作り、それを闇業者に売って儲けていたことが内部告発でバレ、そして、裁判になったのです。
 もちろん、この革職人は窃盗罪で有罪だったのですが、次の論点で話題になりました。それは、そのブランドの革を使い、そのブランドの職人が作ったバッグは、“本物”か“ニセモノ”か……?
 あなたが裁判員ならば、どんな判断をしますか?
さて、その結論は、“ニセモノ!”という判決がおりました。つまり、ブランドとは、その製品自体を言うのではなく、その製品を長年にわたって作り続けてきた歴史や知的財産の蓄積のことをいうのです。
 同様な例は、名画の贋作も同じです。プロでも見分けが付きにくいほどの模写であっても、それが“ニセモノ”と分かると、我々の心はゲンナリします。
 ついこの間の事件!佐村河内守の交響曲が、新垣という別人によって書かれていた……多くのクラシックファンは、失聴した作曲家、現代のベートーヴェンと讃え、そのコンサートでは、彼をスタンディングオベーションで迎えて、NHKスペシャルにまで登場したにもかかわらず、それがゴーストライターの作品であると分かった途端、非難の嵐に変わりました。
 私見ですが、良い作品には生命力が宿っているため、誰が作ろうが残るものは残ると思います。しかし、彼らの作品は今後、消滅の憂き目に遭うでしょう。
 さて、この事件を裏側から見ると、審美眼のない凡人は、評論家が良いと言えばそれに流れ、マスコミが取り上げれば絶賛する……単なる付和雷同型似非文化人に過ぎないということでしょう。いや、今回の事件では、とても有名な音楽評論家や音楽講師までが、その発覚の前後で大きく意見を変えたことからも分かるように、我々人間の感性や感覚など、世間の風評やオピニオンリーダーによって簡単に操作されてしまう……つまり、催眠にかかってしまうという事なのです。
 みなさん、“本物”を見分ける眼をしっかりと自分の心に育ませましょう。それには、思慮と時間をたっぷりかける……つまり、自分が本物になることしかありません。「ローマは一日にして成らず!」のことわざのように、本物とはじっくりと熟成期間を経てそのように成ったのです。
 軽薄短小を求めるような感性では、どだい詐欺に掛かるのがオチですゾ!

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/