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今週の喝 第454号(2014.1.6〜2014.1.12) この世は全て催眠だ(197)〜明けましておめでとうございます〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(197
〜明けましておめでとうございます

 一年の計は元旦(がんたん)にあり……皆さんはしっかりと甲午(きのえうま)の計画を立てましたか。私の知り合いで陸上自衛隊中部方面総監にまでなられた方で、その名を「元旦」とかいて「もとのぶ」と読む方がおられます。
 この方に伺いましたが、元日と元旦を混同している人が多いのですが、実は意味合いは違います。元日は1月1日終日を指します。元旦の「旦」の下の横一は地平線を指し、そこから太陽が昇る様を表しているので、日の出までをいいます。今では、神道などの祭礼が朝10時に行われるところが多いため、元旦とは、1月1日の朝10時までと言う事になります。
 除夜の鐘を聞いて10時間の間に一年の計画を立て、それを遂行する決意を神様の前で誓うのです。しっかりと、自分が一年後にどのような姿になっているかをイメージして、そこに到達するためのプロセスを明快にして、そして、それが世の摂理(神)と合致するかを見定める作業をして、肚に落とし込むのです。
 清々しい朝の霊気の中で、自分の潜在意識に自分のあるべき姿をイメージして完全インプットすることは、これは、完全な自己催眠です。
 古人は、科学的な裏付けなどなくとも、代々の経験則からこの自己催眠「一年の計は元旦にあり」を生み出しました。
 
 今年も、このM&U SCHOOLが皆さんにお届けする「今週の喝」は、人間の真の幸福とは何か、またそれの実現に対して役に立つ情報と、人それぞれが持つ“理想の姿”の体現のための手法を沢山お届けする所存で御座いますので、これからも末永くご愛読の程、隅から隅までズズ、ズイーッと乞い願い奉りまする。
 
★★「喝」こそ、催眠の極意!★★
 歌舞伎の口上風に幕を開けましたこの「今週の喝」。そもそも“喝”とは、TV番組で、野球解説の大沢親分と張本さんがスポーツ選手に対して、
 「こりゃ駄目だ!喝だ!」
と言って、大きな声で叱っている場面や、禅の僧侶が
 「喝!」
と弟子や民衆を大声でどなりつけ、叱りつける場面を想像しますね。しかし、元来の意味は「間違いを正す」という単純なものでした。
 それが禅の世界と結びつき、現代では叱咤激励の意味も含んで、よく用いられるようになりました。こんなところから、「喝を入れる」というと言う人もいますが、この場合は「活を入れる」ですので、どうかお間違いなく……。
 さて、禅における「喝」には4種類あるとされています。
 
(1) 相手の迷いや執着を断ち切ってしまう、剣のような「喝!」
(2) 相手の思い上がりを粉砕してしまう、ライオンの咆吼のような「喝!」
(3) 相手の力量を測るために発する、探るような「喝!」
(4) 上の3つを包括する、大きな「喝!」
 
 この「喝」、文字通り「かーっ!」と言って発する人もいますし、「ワッ!」とか「ハッ!」とか、いわゆる言葉にならない叫びの場合もあります。それというのも、「喝」という言葉がそもそも、相手に間違いを気付かせる切っ掛けから始まっているので、上の4種類にキチンと沿っているなら、「ニャー!」という叫びであっても「喝」になるハズですね。(ちょっと、極端ですが……)
 つまるところ、「喝!」は言葉にならない気持ちを表すテンション信号なのです。そういう観点から見れば、ベートーヴェンの第三交響曲「英雄」第1楽章の冒頭の、ジャン!、ジャン!という二つの音も、この「喝!」の意味を含んでいると言えます。
 「迷いを断ち切れ!」
 「目を覚ませ!」
 「本気でかかってこい!」
という気持ち。これを言葉で表してしまうと、どうしても暑苦しく、押しつけがましくなってしまいます。そこで、熱いハートを込めてそのまま叫び、直に相手へ気持ちを伝えようというわけです。そのための「喝!」なのです。
 「禅の真髄は文字や言葉では表せない。だから究極的には『以心伝心』なのだ」とされています。「喝!」は、この「以心伝心」のための手段のひとつだと言えるでしょう。
 言葉にならない究極のところを相手に伝えたい、教えたいんだ! だからお前も熱くなれよ!……心と心のぶつかり合い、その際の手段が「喝!」なのです。
 人は「大喝」されると、身も心もそこに集中し、一瞬身動きできない(固まった)状態になります。これこそ、プライマリーな催眠の極意なのです。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/