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今週の喝 第453号(2013.12.23〜2013.12.29) この世は全て催眠だ(195)〜相手の同意を得られない根本的な心〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(195
〜相手の同意を得られない根本的な心

 “相手の同意が得られない”時の三つの条件についてお話をしています。
 人間とは本当に厄介な生きものだと思うのは、人間だけが用いることのできる“言葉”が、なかなか本心を伝えるために使われないということです。
 別に、相手に「嘘をついてやろう」と、故意に思っているわけでもないのに、心の中にいるもう一人の自分が「つむじを曲げて」不本意に、心で思っているのと違うことを言ってしまうこともしばしばです。
 たとえば、恋人同士が口論になり、互いに背を向けて家に帰ったとき、やがて寂しさが襲ってきて
 「言い過ぎたかなぁ。今度、電話があれば素直に謝っちゃおう」
と素直に反省します。その時、相手から携帯の着信音……!
 胸躍らせて、電話に出た途端
 「何の用?電話しないでって言ったでしょ!」
とふたたび喧嘩を売ってしまったなどという話しは、誰しも一度や二度体験したのでは無いでしょうか?
(無い方は、本当に良い育ちをされています)
 この様に、「心と言葉」が一致しないのは、無意識のうちに行動してしまうからです。それは、自分の心の下に住まう、もう一人の自分(無意識)に起因します。つまり、我々人間は「理性と感情」という形で、常に心の中で異質な二つの心(自分)せめぎ合っているのです。
 この様な、相反する心を無くするために、宗教は座禅や修行を提供してくれました。
 人が「つむじを曲げる」とは、感情が理性を押さえつけて、自分で「自制できない心の状態」になったことをいいます。
 この感情は、集団的生きものである人間特有のもので、当初から参画していないとか、そこに自分がやる仕事がないという「疎外感」を感じたときに溢れ出します。
 「キレる!」とは、この様な心の状態をいうのです。
 
★★尊敬の心は、躾から生まれる!★★
 そして、第三番目の「投げかける側が、相手に対して“尊敬”の意を持っていない」ことで、決定的になります。
 人は、言葉だけでコミュニケーションを取っているわけではありません。むしろ、勘の良い人間と言われる人達は「ノンバーバル・コミュニケーション」といって、見たり聞いたりする以外に、言葉なしに「察する・感じる」ことで物事の判断をします。そんな時に、思い過ごして“誤解”も頻繁に起き、ますます関係が複雑になって行きます。思い込みの激しい人になると、聞いた事と思った事の区別が付かなくなる人もいます。もっとひどくなると、自分自身が言ったことを他人が言ったと思ったり、言ったことと聞いたことの区別もなくなるときがあります。こうなると完全に過敏症、妄想癖の病気です。これを、パラノイア(偏執症)といい、誇大妄想や被害妄想になることもあります。
 しかし、人間は他の人間の不孝が笑いのネタになったりするように、他人に対して真剣に向き合うことを学ぶまでに、多くの失敗経験や悲しい目に合わなければなりません。従って、未熟な人間の“人との接し方”は、上っ面だけ……つまり、その人間を大切に思っていないのに、思っているように繕うのです。
 昔から、殴った方は忘れても殴られた方は覚えているといわれるように、敬意を払わずに美辞麗句、巧言令色で接してもらっても、少し勘の良い人間ならばその本質は感じます。従って、疎外感の上に適当にあしらわれた感覚が加われば、もう、どうしようも無い感情に陥り、自尊心を傷つけられた感覚から、人間の持つ原初的衝動である“リベンジ心”が顔をもたげ、完全に「反対のための反対」の様相となるのです。
 この「尊敬する心」は、道徳教育や躾けによって萌芽、育成されます。希にですが、自然発生的にこの素晴らしい感性を取得する賢者・聖者もいなくはありませんが、大抵は、行儀と同様に躾けられなければ身に備わりません。
 しかし、その逆(馬鹿にされたり、する心)は誰でもが感知するから厄介です。人を動かす、同意を得るといった行為は、表面的な所作では決してその成果を得られないことを理解して頂けたと思います。
 人間、心から物事に当たらないといけません。何事も、中途からでは文字通り中途半端となってしまいます。
 戦争においても、「戦略・戦術・戦力・戦意」の四条件が明快で無ければ、勝利は覚束ないように、何事をするにしても、しっかりとした計画を逆算によって立て、協力者には当初から参画してもらう事で、戦意が高揚し、真の戦力となるのです。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/