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今週の喝 第380号(2012.7.30〜2012.8.5) この世は全て催眠だ(122)〜「軽薄短小」の裏に「重厚長大」あり!〜

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この世は全て催眠だ(122
〜「軽薄短小」の裏に「重厚長大」あり!

 現代文明を簡単に言い表すと、それを用いる側が「軽薄短小」であれば支持され、ヒット商品ともて囃されます。しかし、軽薄短小の商品を作る裏には、それこそ必死になって自分自身の思慮と時間を「重厚長大」を旨として、立ち向かっている姿があります。しかし、それを用いる側はイージーに使うために、製品もイージーに作られていると錯覚し(もしかしたら、それも感じないまま)、“使い捨て文化”が蔓延りました。
 この非情な感覚こそ、ちょっと努力を怠れば単純に“忘れ去られる”という恐怖を生み、その恐怖が反動形成となって、自分だけのことを考えるエゴを誘発させました。そして、そのエゴのエネルギーがまた新たなる製品開発をし、結果論的に言えば18世紀後半の産業革命以後、まさに「日進月歩」で“文明”を発展させてきたのです。
 いやはや、このように宣う私も“現代文明”の恩恵を嫌と言うほど甘受し、今使っているパソコンや一太郎のソフトを研究開発した人のことなど全く念頭に置くことなくキーボードを打っています。
 昔も今も、新たな物の開発には、一攫千金を目指した人間も多くいたと思います。しかし、動機が“金儲け”と不純でも、その過程で、自分に与えられた才能が、天の意志による(他力)かも知れないと気付いた人は、それこそ「世のため、人のため」に自分の一生を捧げる人生を送るかもしれません。
 このように考えて行くと、我々がこの世に生を受けた意味は、「気付き」……それは、何故この世に生まれ、何をしてこの世を過ごし、その結果、死を迎える時期に自分の心がどのような感覚になってそれを受け入れるのかという、自分の魂の切磋琢磨だと私は考えるようになりました。

=「気付き」こそ、解き放たれた自分を創る鍵!=
 現代文明の発展は、そのプロセスが重厚長大であることに気付かず、その恩恵にだけ浴する一般大衆と、日夜、必死にその開発に挑む人間(オーソリティ)を生み出しました。しかし、その両者とも、心の在り方は五十歩百歩です。
 前者は、ただ「楽と得」の中に身を置き、自分がとても恵まれた環境であることにも気付かない呑気人間です。また後者は、自分に与えられた才能を常に金に置き換えることで、幸福感(金持ちが幸福であるという観念に基づく)を得てます。彼らもまた、「金が幸福をもたらす」という表面的感覚で努力していますので、呑気人間と何ら大差はありません。
 20世紀半ばにイギリスの記者、アーサー・ケストラーによって提唱された「全体と個の調和=ホロン革命」こそ、集団で生きる性質を与えられた人間の真の姿です。しかし、“我欲”は我々の社会を文明的に大発展させたと同時に、「自分だけが良ければ」というエゴをより強固にしてしまいました。 最近のヒット映画「三丁目の夕日」は、戦後の昭和を懐かしく思い出させてくれます。あの頃は、日本人にまだ人情がしっかりと根付いており、“自分だけ”という観念は罪悪感を伴い、常に、「全体と個の調和」の狭間で葛藤していました。こんな心情を芸術的に表現したものが“演歌”です。現代では、演歌は古いメロディー、くさい歌詞で“老人の歌”のような印象が有り、衰退の一途を辿っていますが、演歌の興亡は人間の心情の興亡と重なると私は考えています。演歌は「自分の心情と相手との関係」を美しく表現した詩情です。苦しいときも悲しいときも勇気を出して自分を律し、また恨み節であっても、やがて甘くほろ苦い“良きおもいで”として潜在意識にしまっておく人間らしさを表現した歌です。それに続くフォークソングも同じように歌に詩心がありました。
 「人は一人では生きて行けない」……こんな当たり前のことが、分からないからこそ、その憤懣やり方無い心が「イジメ」や、八つ当たりの典型である「パワハラ」を生むのです。

 さあ、いま我々は自分の心の在り方に気付かなければなりません。広島の一教師であった住岡夜光(すみおかやこう)先生「念願は人格を形成す。継続は力なり!」と喝破したように、自分を格(ただ)すことこそ我々現代人が成さなければならない人間改革だと思います。自分を格すとは、この世の成り立ち(摂理)を勉強し、その摂理に反した自分を見つけたら、すぐさまそれを努力して(意識化して)修正する心を養うのです。その為に必要なエネルギーは、「継続力・持続力」です。軽薄短小が身についた現代人に最も欠けているのは、この「継続力・持続力」です。それは、まさに「軽薄短小が当たり前になったために、何事もその裏に重厚長大が存在する」という安易な心が支配する状態です。
 私が、ここしばらく「この世は全て催眠だ」というテーマでこの“喝”を執筆しているのは、知らず知らずのうちに氾濫している催眠現象を正確に認知し、誰かに催眠誘導するのではなく、自分を蝕む催眠状態から自分自身を解放した心の状態で、真の人間関係を結ぶことこそ「幸福」の大前提であることを皆様に伝えたいのです。

この続きは、また来週のお楽しみ……('-^*)/