M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第376号(2012.7.2〜2012.7.8) この世は全て催眠だ(118)〜誤解されるようなことは、止めろ!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(118
〜誤解されるようなことは、止めろ!

 先日、テレビを見ておりますと派手なブレザーに赤い蝶ネクタイをして、髪はおしゃれに部分染めをした中年男性が、催眠術の大家として(すみません。名前を覚えておりません)テレビタレント相手に、ショー催眠を見せておりました。
 もちろんテレビでのショーですから、私がとやかく言う筋合いもないのでしょうが、
 「指をパチッと鳴らすと、あなたはゴリラになります」etc.
と言って、感覚支配(催眠の深さの程度)に導き、スタジオ中を猿まねさせて走り廻らせておりました。スタッフはそれを見て笑い転げ、もう一人の女性タレントが涙を流しながら笑っているのを見計らって、あなたはお姫様と暗示を入れ、ゴリラと姫というシチュエーションで寸劇をやらせているのです。番組としては、充分催眠における人格転換などの不思議さをアピールできたでしょうが、あのような露出(放送局の専門用語です)の仕方があることで、本来人間の能力を極限にまで伸ばす手立てにも使うことの出来る催眠を、多くの人間に
 「人前で恥をさらされるかも……」
といった恐怖感を植え付けるのです。
 また、それに拍車を掛けるように、詐欺事件が起こると“催眠商法”という呼称で呼び、オウム真理教の信者達が捕まると、
 「麻原の催眠から、未だ脱却せず!」
などとスポーツ紙が書き立てます。
 報道関係者で、どれだけの人が催眠を正確に理解して“催眠”という用語を使っているのでしょうか。現代は「登校拒否」(自らの意志で登校しない)を、「不登校」(潜在意識に原因があるため、登校しようとすると体調不良になり、登校できない状態が自然に出来る)と修正するように、その用語をより正確に用いることを前提としているのに、“催眠”だけは、いまだおかしな誤解のママです。(>_<)

=“催眠”を一言で言えば「快」!=
 もちろん、件(くだん)の催眠術の先生がゴリラやお姫様に変身させたことは催眠の一過程ですので、当然、人の心はそのように操られます。そして、(催眠を)覚醒してからも有効に作用する後催眠暗示を入れると、催眠中ではないのに催眠時と同じ反応をしてしまうのも間違いありません。間違いが無いからと言って、誤解を招くような露出は、私たちM&U SCHOOLが「この世は全て催眠だ」とその科学と応用を喚起しようとしている側にとっては、はなはだ迷惑です。
 なぜ、間違っていないのに誤解が生じるかというと、それは、催眠の一面しか示していないからです。何事も多方面から視点を変えて全体像を示さないと、その全体像は分かりません。我々M&U SCHOOLでは、これを「片面固持(=偏見)」と呼び、人間が払拭しなければならない心情です。
 この片面固持も、大きく見れば催眠の一種で、人間の情動(無意識の心の動きとそれに伴う行動)には「楽と得を常に求める」という横着な心があり、一つの方向から見たこと(ファースト・インプレッション=第一印象)を鵜呑みにする心の法則があるのです。それは、単純に自分自身が「物事は多方面から観察する」と思えば、そんな誤認識は解消されるのですが、何せ、人間の性質に面倒なことは極力避けたいという無意識が存在しますので、我々凡人にとっては“面倒なこと”です。
 先ほど例に取り上げた“不登校”も、学校で嫌な思いをしている生徒・児童が、潜在意識に対する知識や認識のない親や先生によって、「怠け心」と決めつけられて、無理矢理学校に連れてこられたときに、その子の潜在意識(無意識)が嘔吐・めまい・発熱といった症状を身体に誘発して学校に行くことが出来ない状態を作り上げてしまうのです。そして、我々の身体はコンピュータのハードディスクに似た記憶装置です。それが習慣化(癖化)されると、「嫌なことがあると、体調不良を自動的に誘発」する身体を作り上げてしまうのです。これも、大局的に見れば催眠です。
 「催眠とは何ですか」と、よく尋ねられますが、私は「快」一文字だと考えています。人間は須く、快い、心地よい方に向かう性質が生来備わっていて、その性質(感情・欲求)に気付き、意志の力(理性)で修正してゆかない限り、「オレは催眠などに掛からない」と豪語する人間も、「快」を眼前にぶら下げられるとそれに執着してしまい、思い通りに動かされてしまいます。要注意!
 さて、「執着」と「集中」の違いは何でしょう。「執着」は外界の影響で自分の心が一点に集約すること、「集中」は己の意志(内側)の力で、心を一つにまとめることです。従って、執着は外界の影響がある限り、なかなか払拭することは困難ですが、集中は自己解除できる自由性をもっています。それほど、感情や欲望に支配された心は不自由であり、理性的な心は、自分自身を解き放つ最大要因なのです。


この続きは、また来週のお楽しみ……('-^*)/