M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第364号(2012.4.9〜2012.4.15) この世は全て催眠だ(106)〜口はだませても、目はだませない!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(106
〜口はだませても、目はだませない!

 「見られる」ということが、人にとってとても重要なエネルギーになっていることを、先週の“喝”で大手企業のコーヒーサーバーの例でお話ししました。人の目のシールを貼るだけで、人の心が変化する。また、接客ビジネスなどで、口元の笑みは教えることができても、目はそのようにゆきません。
 その理由は、単純明快です。真剣に相手の目を見ていない!相手を“適当”にしか意識していないからです。
 口元の筋肉は、訓練によって色々と変化させることができ、またそれを癖化(習慣化)することができますが、目元だけは、一時的に作り出すことができても、不思議に癖化しません。従って、接客業などの社員研修で、笑みやる気の顔を作るために「目は縦に、口は横に!」と教わっても、心そのものがその方向に向かない限り、人の表情のことを少し学んだ人には、必ずそれが本心かどうかを見抜かれてしまいます。
 芝居の世界で「役作り」というのは、如何に自分の心をイメージで本物に近づけ、その役の人間になりきるかどうかに掛かっています。それも没頭するのではなく、心をその役に集中させることが肝要です。没頭と集中の違いは、自分の意識で“解除”出来るのが「集中」で、我を忘れてそのものになりきってしまい、“自分自身をコントロール出来ない状態”が「没頭」です。
 集中している時を、「トランス状態」といいます。辞書で調べますと、「夢うつつの状態、恍惚。神がかり状態」などと、自分ではその状態から抜け出せないようなことが書いてあります。このように書くとトランス状態とは没頭のようですが、決してそうではありません。きっと、潜在意識のことを詳しく知らない人の訳語でしょう。トランス状態とは、心と体が適度に関係し合った最高の集中状態のことです。ですから、自分の意志で、いつでも解除出来るのです。

= トランス状態=催眠=快! =
 「見られる(人の目を気にする)」ことも、「トランス状態に入る」ことも、その時の心の状態を探って行くと、「快」という感覚に行き着きます。コーヒーサーバーの事例も、なにも目が怖くてお金を支払うようになったのではなくて、ちゃんとモラル通り支払った方が、怖い目を気にしなくて良いことを感じたからです。すると心は青天白日!快の状態になります。子供が鉄棒の逆上がりを初めて成功させた時、「ねえ、ママ見ててね」と親愛の情を感じる人にその技を披露しようとします。また、AKB48のオーディションに少女が殺到するのも、見られることによる「快」を感じるからです。ここにも、人間は関係性の中(社会)で育まれる証があります。
 従って、社会そのものが本来は「快」のはずなのですが、そこに、人の我欲が存在し、楽と得を求めた結果、“人の見ていないところ”では横着手抜きをした結果、自分自身が後ろめたさを持ち、逆に社会を敵視する結果を招くのです。
 生まれ育つ過程において、しっかりとした道徳モラルを教え込まれた人間は、努力によって得た成果を「人に見られたい」と自然に思うのです。その快感こそが、人間関係の基礎なのです。逆説的に言うと、人に見られても恥ずかしくない行為行動は、自分自身の所業に対してしっかりと責任を持てるため、それを完成させた時に「快」が生じるのです。それは、自分の心が集中力を発揮することによって得られる「快」は反復修得され、やがて癖化(習慣化)します。
 マラソンのランナーズ・ハイも、無意識に肉体の極限状態の苦しみから脱却しようとして自律神経がエンドロフィンなどの快楽物質を出すため、「快」がやってくるのです。これは、一度体験したら止められません。これがトランス状態に入るメカニズムなのです。
 つまり、人がトランス状態に入るのは、そこに「快」が存在するためで、それが良しも悪しきも癖化を呼び起こすのです。たばこや酒が止められなくなるのも同じ現象ですが、大きな違いは、このような嗜好品に溺れる人間は、周りのこと(社会)を意識せず、自分勝手な行為行動に走った結果だと言うことです。これもまた、面倒なことをせずともよい(楽と得)と反復修得し、社会モラルを無くして行くのです。つまり、「この世はすべて催眠だ」と言明できる程、人は「快」を求めて行動します。そこに、我欲というバイアス(偏見)ではなく、人間関係(社会)という全体掌握に気付いた者が正見(世の中の成り立ちを正しく判断する)の眼を養い、真の意味での「快」を生み出して行くのです。

この続きは、また来週のお楽しみ……('-^*)/