M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第354号(2012.1.30〜2012.2.5) この世は全て催眠だ(96)〜人間は奇跡を起こすパワーを潜在的に持っている〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(96
〜人間は奇跡を起こすパワーを潜在的に持っている

 ハンガリーの哲学者マイケル・ポランニーが提唱した人間の無意識(潜在意識)に存在する「暗黙知」「創発」は、私自身、自分が生業(なりわい)とする作曲や楽器演奏に於いて、幾度となく体験しています。
 暗黙知というと、何かしら特殊な力(知恵)のように思ってしまいますが、“火事場のバカ力”と共通の意識(力)なのです。
 今から30年程前の新聞の大阪地方版(残念ながら新聞社の名は忘れました)に、団地の4階から子供が転落したのを、その子の母がガッチリと受け止めたという記事がありました。
 事の顛末は、お母さん同士が団地の広場でペチャクチャおしゃべりをしていたとき、その中の一人が、
 「あーら奥様、あなたのお子さんがベランダから顔を出していますわよ」
 と、話の途中に何気なく目に入った光景を笑顔で言いました。そして、ふと振り向くと、何と自分の部屋から3歳の息子が、前日新しい家具を買い、不要になった物を捨てようと何気なくベランダに置いておいた古い家具の上に乗っかり、下をのぞいているのです。その瞬間、母は走り出し、それと同時に子供はベランダから転落したと、周りの人は証言しています。
 しかし、母は一直線にベランダの下で、ガッチリと子供を受け止め事なきを得たというのです。
 その新聞記事は、ここからが私の印象に深く残っています。この事象を専門家が解析したところ、そのお母さんは、100メートルを10秒台で走ったことになり、その子供の重量は落下の法則から割り出して、およそ100kgにもなると計算されたのです。か弱き女性が到底出来る訳がない奇跡を報じたコラムでした。

=自分の敵は自分自身!=
 この事象を信じる信じないは、皆さんの取り方次第であり自由ですが、私は常に、自分の人生を振り返って、このような信じられないようなミラクルを不思議に何度も体験しました。
 母親の一念(無意識の愛)が思いもよらないパワーを生み出したのです。それがポランニーの提唱する「暗黙知と創発」のエネルギーなのです。私もこれも今から約30年程前、
 「スプーンが曲がる音楽を作曲して欲しい」
という依頼を受けたのです。
 当時はユリー・ゲラーが一世を風靡していた時代でもありましたが、私自身端からそんな物はインチキと決めつけ、まったく興味など持っておりませんでした。しかし、作曲料に目がくらみ(?)、引き受けてしまったのです。さあ、大変です。自分の心の中には、そんな曲が出来るはずもないという否定的な私と、引き受けたからには何が何でも作り上げるぞと言う作曲家のプライドが出た肯定的な私が大葛藤を始め、それこそ、半狂乱状態に陥りました。
 人間とは本当に弱い生き物!窮地に立たされれば、やることは酒を呷るか、ヤケのヤンパチになるくらいが落ちです。私も他聞に漏れず、明日提出という期限の前日、一小節も書けない自分をごまかすために、ウイスキーをボトル半分たいらげ、へべれけ状態になりました。その時の私は前後不覚状態ながらもなにやら訳の分からない力に導かれるように、シンセサイザーの前で作曲を始めたそうです。人ごとのように書いたのは、本当に何も覚えていないのです。(家族の証言)
 そして朝6時頃、なんと15分の交響詩「生命」が楽譜もないまま、ちゃんとサイマルシンク録音(多重録音)の8チャンネル・オープンテープレコーダーに録音されているではあ〜りませんか。(この曲は、後に生オーケストラによってCD化され、今も瞑想状態を導くものとして、『大宇宙』というタイトルでM&U SCHOOLから発売されております)
 人は、混乱の極致に遭遇すると、それを整合化しようとする未知なるエネルギーが支援する……まさに暗黙知や創発のシステムがあることを、私自身体感した顕著な例です。私が演歌「おもいで酒」を作曲したときも、同じような体験をしています。簡単に言うと、その時の心の状態や姿勢など今思い出そうとしてもまったく記憶から消えているのです。それを、研究家は“完全な集中”というような分析をしていましたが、この完全な集中の中にあって初めて、次元をワープする(一段高い次元へ昇華する)のだと思います。
 もし、この時の状態がしっかりと記憶にあるのなら、同じ状態を作り出せばまた大ヒットが生まれ、今以上に裕福な暮らしが出来るのにと下衆(げす)の勘ぐりが出てしまいますが、未だそのような事象は現れておりません。まさに、雑念(メンタルノイズ)がこのような暗黙知と創発の障害となっているのでしょう。
 瞑想とは、このような雑念除去のために先人達の体験から生み出された知恵の宝庫であると私は解釈しています。強いて言えば、「私」そのものが、欲望の宝庫であるが故に、成功や能力の邪魔をしているのです。自分の敵は自分自身であるが故に、古人は「克己」を最重要課題と位置づけたのです。
 柔道の大家・嘉納治五郎先生「勝つと思うな、思えば負けよ」と喝破しています。

この続きは、また来週のお楽しみ……('-^*)/