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今週の喝 第328号(2011.8.1〜2011.8.7) この世は全て催眠だ(70)〜本当の先生の資質とは何か?〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(70
〜本当の先生の資質とは何か?

 この“今週の喝”でも何度も皆さんにご紹介しましたが、私は兵庫県西宮市の下町である今津という町に生まれ育ちました。下町といえば聞こえは良いのですが、不良がたむろするそれはひどい町でした。そこの中学校に一人の音楽教師が赴任して、ブラスバンドを鍛えるや、またたく間に日本一の栄冠をものにしたのです。
 ここの住人である私が誇張なく言いますと、人間は持って生まれた頭脳の良さや地域性など多少は影響するのでしょうが、殆どは教育の仕方や指導法……強いて言うならば、教える側の教え方や人間的魅力によって大半が決まってしまいます。
 失礼ながら申しますが、我が師・得津武史先生音楽を学んだという感覚は、今振り返ってみてもありません。しかし、「やれば出来る」といった精神教育は私の骨の髄まで染み込んでおります。音楽という情緒を伝える手段だからこそ、音楽よりも心であったのだと思います。音楽をHow to do.(方法)とするならば、心はHow to be.(心構え)ということになるのでしょう。
 先ほど、得津先生から音楽を学んだことをあまり感じないと失礼なことを言いましたが、ある意味で、このことが、今津中学校吹奏楽部を日本一に導いた最大要因のような気がします。
 ある日のこと、中学3年の私を呼んで「おい梅忠!この楽譜に書いてある“Allegro(アレグロ) con(コン) brio(ブリオ)”とはどういう意味や」と尋ねられました。先生が生徒に質問するなど、本当に勇気のいることだと私は感じました。それを平然とやってのける……「目的(勝つため)のためには手段を選ばず」を地で行く豪傑でした。

=客観的視野から主観的視野へ=
 長い間、教育に携わる多くの先生方と接して分かったことですが、皆さん、自分の専門分野や教科に関しては非常に優秀で豊富な知識や考え方を持っています。しかし、このような教職に携わる先生自身が、どのようにしてその知識を身につけてきたかについては無頓着で、忘れてしまったという方も少なくありませんでした。どのように学んだかが分からない(覚えていない)ということは、生徒にどのように教えて良いか、どうすれば子供たちが理解できるかについては、全く分からないでしょう。
 我が師・得津先生は、先生自身が子供時代のことをよく話してくれました。自分が勉強嫌いであったこと、その理由はその教科の先生を嫌いだったこと、それでグレて不良になったこと、そして、当時養い親だった叔父さんに座敷牢に入れられたこと、放免の代わりにきっちりと毎日欠かさずやることを強要されピアノを選んだこと、その結果、音楽学校へ進学し小学校の教師になったこと、そして、初めての給料日に赤紙(召集令状)が来たことなど、まるで、私自身一緒にその人生を歩んでいると錯覚するように語り聞かせてくれました。
 「この先生となら、共に戦える」という感覚を吹奏楽部部員全員が持っていたことは間違いありません。だから、全国優勝15回という偉業が達成できたのでしょう。得津先生の眼線は、常に私達と同じ位置から見ていてくれたのです。だから、私に音楽用語を平気で尋ねたのです。

 私はたまに、学校の招聘(しようへい)で「武士道」や「成功哲学」について講演の依頼を受け、先生や生徒を対象に話す機会があります。そんな時、懐かしく、授業風景などを見学させてもらいますが、失礼ながら先生方の教え方がとても下手くそだと感じることが多くあります。その原因は、例えば化学の授業であれば、突然専門分野の化学式をホワイトボードに書きだします。ここでは、化学に興味を持っている者もそうでない者も、同じように接してこられるのです。すると、興味の有る者、将来科学者になるの素養の有る生徒は言われたとおりにし、納得していますが、他の大部分の者は嘆息し、睡魔と戦っておりました。
 この先生は、化学を苦手な人間の心が分からないのです。だから生徒は、益々化学が嫌いになるという悪循環です。
 しかし、先生は自分が正しいと思っていますので、「近頃の生徒は、本当に頭が悪くなった」と感じているのでしょう。反面、生徒たちは「なぜこんな訳の分からない授業をするんだろう」と全くもって心が触れあうことはありません。
 学校の授業は生徒の成績で片が付きますが、これがコンクールや試合になれば、相手の所為にしていてはまるで勝ち目がありません。スポーツ・芸術の分野に関わらず、それを本当に習得させようと思えば、じっくりと相手の立場に立った教育が必要なのです。一般生徒は……という客観的立場から、自分自身が生徒の立場に立って自分の専門分野(授業)を見ることを想定する主観的立場へと視野を変えることから始めなければ、立派な人間を育てることは無理なのです。

この続きは、また来週のお楽しみ……('-^*)/