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今週の喝 第312号(2011.4.11〜2011.4.17) この世は全て催眠だ(54)〜人間のイメージ力は、現実のパワーと同じ!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(54
〜人間のイメージ力は、現実のパワーと同じ!〜

 人間の性癖はかなりしつこく出来ているようです。
やっていることがうまく行かないと、本来は別の方法を工夫してみようとするのが本筋ですが、たいがいの人間はしつこく同じことを繰り返すのが普通です。
 子供が言うことを聞かないと、別の言い方で諭(さと)そうとはせず、同じ言葉を何度も繰り返し、その度に声を大きく荒げてゆきます。一つのやり方がうまくいかない時は、別のやり方でやってみるべきです。同じことを繰り返すよりも、うまくいく確率は必然的に高くなります。
 凡人はものごとがうまく遂行されない時、色々な言い訳をします。「自分を抑えきれなかった」とか「何が自分に起こったか分からない」など……。他にも「何故あんなことをしてしまったんだろう」「私はどうかしていた。あの時は本当の自分ではなかった」などもよく使われます。このような言い訳を、自分を隠すためとは言え何度も使うと、最後には本当に多重人格者になってしまいます。
 我々は言い訳のつもりでも、それを反復すると、いつの間にか癖化するのです。これも催眠の一つです。人間は悪い方への自己催眠は、誰に教わることもなく修得してしまうから恐ろしい!そしてその結果、不幸な事態が続いてしまい、周りに迷惑をまき散らす人間公害になってしまいます。
 この文章を読んでいるあなたがもしこの事例に当てはまるなら、今すぐに別の方策を考えて、人生楽しく過ごした方が絶対に良いのです。

=あなたの在り方次第で、全ては決まる=
 人間は、いったん権利や権力を持つと、人が変わったように暴君になります。例えば、レストランのお客は、美味しい料理を食べるためにそこへ行くにもかかわらず、自分が“お金を払う”立場にいることで、給仕をさせているウェーターやウェートレスをモノ扱いします。決して人格ある人間とは思っていません。ウェーターのアルバイトをした人に聞きましたが、お客の大部分の態度はそれはもう酷いものだそうです。
 対話の哲学者と言われるマルティン・ブーバー博士は、この状態を「我とそれ」の関係と解説し、それは機械同様に彼らが持っている機能のみに価値を置いているため、給仕以外の仕事はしないと解説しています。それは、コンピューターを使う人間と同じで、人間の側がコンピューターの性能に合わさなければ、コンピューターを使いこなすことができないように、コンピューターに支配されていることに気付かないのです。つまり相手を機械のように扱えば、こちらも機械的に接さなければならなくなります。それは自分をモノ(機械)扱いしているのと同じなのです。
 子供にいつもガミガミ言っている母親も、子供からみればノイズ・マシーンです。そんな時、子供は頑なに相手を否定し、その否定が再びノイズ・マシーンのボリュームをアップさせているという堂々めぐりなのです。
 さきのウェーターやウェートレス、そしてガミガミ親をもつ子供は、心を閉ざし、そこにいかなる情も流れません。これでは、絶対に問題解決はなく、むしろ、より問題を複雑化してゆくだけです。
 このような状態の中で、僅かながらも気持ちよく接してくれる客や、自分の子供の時を振り返る親たちがいると、この客のためにサービスをしよう、この親の言うことは聞こうという気持ちになるのです。
 気持ちよく語りかけることは、近代催眠の初歩なのです。人間は、気持ちよく語りかけ、気持ちよく働かせてくれる人に尽くす方が、そうでない人間に給仕するよりもずっと魅力的なのです。レストランで良いサービスを受けるには、まずウェーターに気持ちよく接することです。子供を立派に育てるには、子供に気持ちよく語ることから始めるのです。
 しかし、ほとんどの人間は、レストランに行けば自動的にサービスを供与してくれるものだと思っています。また、子供は親の所有物のように思っている親も決して少なくありません。
 愉快・不愉快は、勝手にその場の雰囲気で生まれるものではありません。たとえウェーターの態度が悪くとも、子供が逆らおうとも、一段階高次に立ってその現象を見てみて下さい。全てが自分の側からでた所業である事に気付くでしょう。まさにこの世の出来事は全て「身から出た錆」なのです。
 浄土真宗の開祖・親鸞上人は歎異抄で「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と喝破しています。「善人はその所業で仏の加護があり浄土に行けるが、悪人はそうはいかない。だから、悪人こそ浄土に行けるようにしないといけない」という深い心を表しています。これを「悪人正機(しようき)説」といいます。
 このような感じ方をすれば、我々は真のリーダーとして、その人間の存在そのものが価値ある豊かなものとなり、彼のゆくところいつも明るい雰囲気でつつまれるのです。そして、周りの人間はどんどん育ってゆくのです。

この続きは、また来週のお楽しみ……('-^*)/