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今週の喝 第256号(2010.3.15〜2010.3.21) 氣の力を知ろう(63)〜「氣」は心の方向性によって生じる〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

氣の力を知ろう(63
〜「氣」は心の方向性によって生じる〜

 人に命ある限り、そこには生命力が宿り、その生命力が人生の目標を設定し、そこに命の方向性が生まれます。この命の方向性は流れ(stream)となって「氣」が生じるのです。つまり、「氣」とは命が目標を設定し、そこへ向かって流れてゆこうとするエネルギーのことなのです。
 人間は生まれながらにして、環境や周りの人間関係、そして社会制度などから、自分自身の生涯の目標設定をするべく自然に心が動きます。興味あるものに傾注し、それが自分にフィットすれば、その事柄に心を集中させ、自分がしっかりと修得できる(無意識に反応する)まで、継続して自己訓練や試行錯誤を繰り返します。
 興味とは、英語でinterestです。これは、inter(自分の内側)est(establishの略=確立)することと私は解釈しています。従って、自分の意志で目標設定することが重要なのです。つまり、自分の内側(心)に、自分がやるべき事を見いだす前哨現象が“興味を抱く”という心の動きなのです。そして、意志と興味が合致したとき、人の心には「氣」のエネルギーが生じます。
 しかし、人は一つのことに興味を抱く以前に、子供の頃より多くのことを体験し、その中から自分にフィットするものを選ぼうとするのですが、外界からの影響を多分に受けたり、大人の都合や生まれた環境によって抑制・限定される事もたくさんあって、心が散漫となることもしばしばです。これを長年繰り返す(結果的に反復練習したことになる)内に、そのような性質=集中できない“氣散(斑氣)の性質”が出来てしまうのです。

=「目的意識」を鮮明にせよ!=
 多くの人間は、このようなことに氣付かずに成長し、自分が行うべき目標に対して、氣散状態でいるか、不本意な心(嫌々)の状態で臨んでいる場合がほとんどです。従って、理性では「やらなくては!」と自分に叱咤激励しながら、感情では「やりたくない」という相反した綱引き状態になり、結果的に迷い惑って悩みの中に埋没し、もの凄い心のエネルギー(氣)が出ているにもかかわらず、行動には出ないのです。
 本質的に申しますと、人間は興味あるものを見いだし、その事が自分の人生に役立たせる動機付け(motivation)が出来ると、俄然、集中力が増し、前進する意欲が湧いてきます。この状態に自分の心を導くには「何のために、これをやるのか」という目的意識を明快にすることが肝要です。
 目的意識(何のためにやるのか)が不明瞭であると、それこそ前出した綱引き状態を心に生じさせ、自分の意識が全て受動的になり、“やらされている状態”が全身全霊をおそい、心身共に疲労困憊(こんぱい)してしまいます。そして、又この状態が反復されて、何をやっても能動的な心の状態に持って行けなくなり、常にありもしない“楽と得”を求めて、現状から目を背ける習慣が生まれてしまうのです。この心の様相が潜在意識にこびり付くと、人生そのものの意義すら見失い、生命力が極端に落ちてしまいます。
 俗に過労死といわれる死亡原因は、過労という肉体疲労にあるのではなく、受動的な心の状態を無理矢理動かそうとしたところに生じるストレスによって起こるのです。まさに、「病は気から」の典型的症状です。
 目的意識を常に持つこと!
何をするにしても、何を目指すにしても、「何のためにそれをやるのか」という目的意識を育むことが教育の根幹なのです。この動機付けが為された人間にだけ、次のステップへのパスポートが手に入るのです。古来より「必要は、発明の母」と言われるように、自分の目標を完遂する為に必要な条項が明快になり、すべてが始まるのです。まさに「求めよ!さらば与えられん」という格言は、目標に対して目的意識がハッキリしたときに、大きく“道”が開けることを言っているのです。
 人生成功への素晴らしい「氣」を発揮するには、道を積極的に求めること以外にありえません。そして、このように熱心に自分の人生を切り開こうと努力を重ねる人間は、ある日ふと、自分の所業の間違いに氣付くのです。それは、「熱心なあまり、余計なことまで自分に取り込んでいた」と言うことです。
 F・M・アレキサンダーは、習得するのではなく、剥離する事に氣付いた数少ない天才です。ここで一つ注意しなければならないのは、始めから合理を考えて「余分なことはやらないでおこう」と思うような人は、大体において合理と言う名の“怠け癖”を無意識に養っているのです。人間が一つの完成をGetするには、一度、のたうち回らなくてはならないようですね。その修羅場を体験したものにだけ、そして、決して諦めなかった者にだけ、光明がさすのです。

この続きは、また来週……('-^*)/