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今週の喝 第255号(2010.3.8〜2010.3.14) 氣の力を知ろう(62)〜人の本質は、勉強を好きなのか、嫌いなのか?〜

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氣の力を知ろう(62
〜人の本質は、勉強を好きなのか、嫌いなのか?〜

 人がこの世に生を受けて、色々なことを体験しながら成長しますが、本質的に人間は勉強したがるものなのか、勉強が嫌いなのか、皆さんはどのように考えていますか。この質問を多くの方に投げかけたところ「人はおおむね勉強は嫌い!」という解答が返ってきました。
 しかし、私は逆に幼児などを見ていると「人はどんなことにもチャレンジ精神があり、素晴らしい探求心と冒険心を持っている」と思うのです。
 自分はどうだったのか?……やはり、勉強は嫌いだったのかなあ。今思い返すと、中学校の時は良い感じで偏差値的に言えば上位の成績を取っていましたが、高校の2年生くらいから急激に成績が落ちたのを覚えています。そして、卒業間際にはビリから数える方が早いようなところまで墜落していきました。
 この原因を今振り返って分析すると、高2くらいまでは、笛を吹くことだけが好きであった音楽との付き合いが、急に作曲や編曲の魅力に取り付かれ、それに必要な和声学や対位法などを夢中になって学んだことを思い出します。しかし、当時、音楽を志すわけでもなかった私にとって、一般高校の教科への興味が極端に薄れ、同時に成績が急降下したことは、親や担任の先生から見れば、「ダメ生徒」だったのです。
 感受性の強いハイティーンの時期は、周りの影響や評価に敏感ですから、てっきり「自分はアホだ」と思ってしまいました。しかし、その時、寝食も忘れ(何を食べたか覚えてないだけで、大食でしたが)修得した作曲に必要な基礎知識が、後年思いも寄らない形で花開くとは、自分でも全く想像出来ませんでした。

=「やる氣」の回路を創れ!=
 いま思い起こすと、人間の思い込みというのは恐ろしいほどの力を持っていることに氣付きます。本当は、音楽の勉強を熱心にしていたにもかかわらず、世間一般の偏差値上昇のための勉強をしていなかった為に、親の思い入れの通りの成果をあげられないだけで、「勉強を嫌いな人間=ダメ人間」としてのイメージを押しつけられ、そして持ってしまったのです。
 このように考えると、今の教育体系における偏差値や中国で長年行われてきた科挙などの試験は、平均的人間……頭脳明晰な人間を育て、見つけ出すことは出来ても、そこに、人間の本質である真の隠された能力を発掘することにはいささか問題があるようですね。
 大人の都合や体制側が必要とする人間を求めるあまり、人間が本来持っている素晴らしい向上心や集中力を上手く引き出せないでいるのです。人の能力は、その人間が向ける「氣」の方向に出るのであって、何にでも出せるものではありません。大人が子供に対して「勉強しなさい!」と強要しても氣が向いていない限り、私は「百害あって一利なし」だと思えてなりません。
 私の経験から言うと、人の成長の初期過程で重要なのは、「知識」や「能力」を蓄えることではなく、何事に対しても湧き上がる「氣力」や「意欲」を持つことだと思います。この氣力や意欲は、幼少の頃、自分が興味あることをすることによって培われてゆくのです。しかし、大人は自分が経験してきたその当時のことを全く忘れてしまって、子供の嫌がることを強要してしまいます。
 ここにもアレキサンダー・テクニークが指摘する「余計なこと」が顔を覗かせ、本来人間が持っている潜在能力を減衰させています。まさしく「過ぎたるは及ばざるが如し」なのです。その昔、丸大ハムのコマーシャルに「腕白でもいい、逞しく育って欲しい」という名コピーがありましたが、この腕白こそ人間の能動性が発揮された最大の兆候なのです。
 幼児にビー玉を数個与えると、時の経つのを忘れて色々な遊びを考え出します。しかし、時を経て、小学生になるとお仕着せのプラモデルやリカちゃん人形など、町で売られている既製品の玩具でしか楽しみを感じなくなり、全く創意工夫や発想力は削られてゆき、思春期になると恋人とはディズニーランドなど既成のテーマパークでのデートといったお決まりのコースを辿るのみの人間を大量生産しているのも、根本的に人間の捉え方を間違っているからではないでしょうか。
 人間は、鍛えればどんなことでも達成する能力を持っています。セールスマン用の人間、経理用の人間といった用途別に生まれてくるのではありません。人間は何でも出来るように神は創られました。その為に必要な原初的エネルギーが「やる氣」なのです。生まれたての赤ん坊は、もの凄い生命力をもって成長し、その過程で先ず「好きなことに集中」することで、やる氣を出す脳回路を形成してゆくのです。そして、やがて知恵がついてくると、計算能が生まれ、自分のやりたいこと、試したいことをするために必要なことの中に「自分の嫌なこと」があっても、「やる氣」の回路でそれを克服してゆこうとします。人の成功・失敗は、この脳回路を作ったかどうかで決まると言っても過言ではありません。

この続きは、また来週……('-^*)/