M&Uスクール

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今週の喝 第254号(2010.3.1〜2010.3.7) 氣の力を知ろう(61)〜心の理想郷、ムー大陸〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

氣の力を知ろう(61
〜心の理想郷、ムー大陸〜

 今から1万2千年以上前、太平洋に幻の大陸「ムー」が存在していました。そこには、素晴らしい文明が存在し、愛と平和に満ちた素晴らしい王国でした。そこに住む人々のコミュニケーションは、テレパシーによってなされていた理想郷だったといいます。
 にわかに信じがたいこの「ムー大陸伝説」は、古代ギリシャの哲学者プラトンの著作「ティマイオス」に出てくる大西洋の「アトランチス大陸」と共に、その在処を求めて多くの冒険家が旅に出ました。
 19世紀半ばフランスの神父シャルル・ブラッスールが、マヤ文明のマヤ文字をアルファベットに変換した「マヤ・アルファベット」で「失われた大陸」の記述が残っている「トロノア古写本」を調べていたところ、その中に象徴的な二つの絵文字を発見しました。それが「M」「U」であったことから、この大陸を「MU=ムー」と言うようになったのです。
 後に、全てが捏造から生じた間違いであったことが証明されるのですが、未だに学研の雑誌の名にも「ムー」があり、多くの人々の間での真偽論争からも分かるように、この「ムー帝国」に、人間の理想郷を求めていたからだと私は思います。
 私の見解は、プラトンが描いた理想郷…それは人間社会の最高の形であり、嘘や欺瞞、策謀や裏切りなどの汚い人間の本性が浄化されたために栄えた高度な文明…これらを求める強い願望の象徴であり、我々人間の「在り方」に対する大いなる反省として、このような架空の物語を想像したのだと思います。その根底には、互いに「人の心がテレパシーによって読める」、つまり嘘・隠しのない心の状態=無(MU)を求める心がありました。

=習得よりも払拭の方が至難の業=
 私達の心は、90%以上が雑念に浸食され、迷いや惑い、不安と恐怖に苛まれ、そこに固定観念という恐ろしい悪魔が人生の希望まで剥奪してしまい、もう「為す術無し」と絶望の淵に自らを立たせてしまいます。そして、観念(心)がこのようなマイナスになった結果、現実を司る“行動”も、自ずから成功より失敗の方向へ向かうことが多くなるのです。
 バンクーバー冬季オリンピックの女子フィギュア・スケートの金・銀の境目は、まさにこの一点に絞られます。キム・ヨナ浅田真央は二人とも天才です。しかし、その明暗を分けたものは、心の状態=「如何に理想郷をイメージできるか」の勝負だったのです。人間の潜在意識にいったんインプットされたものは無意識化されます。自転車に乗ることが出来ると、長年乗らなかったので乗れない状態に戻ったという話は、今まで聞いたことがありません。また、いったん入った固定観念は容易に払拭できない(=人間の性質はが変わらないと思われる)のも潜在意識に焼き付けた回路が、強大なエネルギーを持っている証しです。しかし、何度も何度も反復練習する過程で、自分を修正し完全な形を体得しても、オリンピックというような大舞台のプレッシャーの前では、「もしかしたら」と過去の失敗の悪魔(雑念)が顔を出します。
 この悪魔の存在こそ、人間と神とを隔てる関門であると私は思うのです。プラトン始め多くの哲学者・宗教家はこの存在に氣付き、自分の心も含めて迷いや惑いに苛まれる「人間の原初的苦しみ」の払拭に挑戦しなければならないのです。これは、何人も避けて通ることができない「人間の宿命」なのです。アレキサンダー・テクニークが、「学び」であると以前書いたのは、このメンタルの部分の処理ができ、何かを新しく習得するのではなくて、失敗や欺瞞などのマイナス感情を「無」にすることに重点が置かれているからです。
 トリプル・アクセルというウルトラC(古いですね)の演技の習得に情熱を燃やしそれを克服することが出来て、何度も成功体験を重ね潜在意識に埋め込んで本番で成功させた瞬間、「やった」という雑念が顔を出した為、それ以降のいつもは何でもない演技で「氣」が抜けて失敗の憂き目に会うのです。そして、演技終了後の後悔が始まります。私も、ステージに立つ身ですから、この本番の悪魔との戦いには多いに苦労しました。それは、アレキサンダーが7年間も格闘したことからも分かるように、自分の潜在意識に住まう悪魔=自分との戦いなのです。アレキサンダーの7年間は、その作戦の間違いに氣付く7年間であったと思います。つまり、「何かを習得」するのではなく、自分の心から「過去のマイナス観念を無くす=無駄を省く」ことへの7年間だったのです。
 19歳の天才達が、これ以上の素晴らしい演技を我々に披露してくれて、後進の憧れの対象となるには、雑念除去であるアレキサンダー・テクニークや禅・瞑想の奥義に自ら到達する(先ずはその世界の存在に氣付く)ことから始まると私は思います。最高級難度をこなした後の「氣の弛み」もまた雑念なのです。
 ムー大陸の人々が、意思の疎通をテレパシーで行っていたというのは、心が浄化され、心に苦しみを秘めることが出来ない状態であったために、「純粋」な心の交流……雑念のない世界の体現……ができていたからだと思います。そんな世界を私も夢見ています。

この続きは、また来週……('-^*)/