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今週の喝 第253号(2010.2.22〜2010.2.28) 氣の力を知ろう(60)〜固定観念を棄てよ!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

氣の力を知ろう(60
〜固定観念を棄てよ!〜

 人間は、行き先の希望が絶たれたとき、氣が失せ、生命力が衰えます。それが極度に達して「自殺」に至るのですが、この現象を逆の捉え方をすると、希望(イメージ)が氣を活性化し、生命の炎を燃やすのです。大体の事故や事件を見ても分かりますが、大体氣の抜けたときに起こっています。
 我々人間は、誰しもその人生で絶望の淵に絶つ経験を何回かします。その事象を絶望ととるのか、未来への心の鍛錬のステップととるのかが人生の分かれ目なのです。
 我々人間のほとんどは、常に自分の判断や決断を“正しい”と信じて生きているか、何も考えずに闇雲に過ごしているかのどちらかです。前者の“自分が正しい”と信じて生きている人間が、苦難に遭遇したとき、正しいと信じていた故に、望みが絶たれたと感じるのです。また、何も考えなかった人間は、唯々苦しみに喘ぎ、そこから方策もないのにもがくので、ますます蟻地獄に落ちるように苦難に足を取られてしまいます。これも、全てがその人間が“自分は正しい”という固定観念で自分自身を縛ったための結果です。
 しかし、「人生、傍目八目」……他人の目から見ると、その固定観念を外せば、まだまだ色々な方策があり、案外簡単に乗り切れることであったりします。
 古人曰く「山よりでっかい獅子は出ぬ」の喩え通り、何か方策を見つけようとするのではなく、自分が創り上げてきた方策……言い換えれば、長年掛けて溜め込んだ固定観念を脱ぎ捨てれば、簡単に問題解決し、未来の希望が湧いてくるのです。それに気がついた一人が、A・M・アレキサンダーでした。

=アレキサンダー・テクニークの根本要素は道の修得=
 自分の体験を少し話しますと、私は24歳の時に作曲した演歌「おもいで酒」が多くの方々のお蔭で大ヒットした時、私自身、引っ張りだこになって大変なことになるだろうと思っておりました。しかし、蓋を開けてみると、作曲依頼はほとんどありません。今から振り返ると、私はレコード制作会社の人達とは、ほとんどコミュニケーションを計っていなかったのです。つまり、人間関係が不備な状態で才能のみを磨いていたのです。
 生意気なようですが、私は少なからず音楽の才能がありました。メロディーも渾々と湧いてくるし、師匠の言われる音楽解釈もまるで砂が水を吸うように吸収できました。笛を吹くと涙を流して聞き入ってくれる聴衆もいて、私自身その音楽に入り込むことが出来たのです。
 今だから言えますが、根本的にこの能力に恵まれたことが災いしていたのです。本来、音楽は人を酔わせるものであるのに、自分が酔っていたのです。つまり、自分の態勢ばかりに気をとられ、他者を無視していたと言って良いでしょう。
 音楽にとどまらず、芸術はそれを受け入れてくれる相手との関係の中に成立します。そして、申し訳ありませんが、受け手の9割は付和雷同型の受け入れ体制しか持っていません。その為、評論家はオピニオン・リーダーとして重要な役割を果たしているのです。このような環境の中で、技術や芸術性だけを磨ききっても、世は受け入れてくれません。才能溢れる天才の苦悩はここに始まるのです。世間は、芸術家と芸人の区別もハッキリさせず、何も鍛えていないフィーリング(好き嫌い)のみで良し悪しを判断決定します。
 私も例外ではなく、努力しても理解の得られない矛盾の嵐に翻弄され、絶望感から自殺を考えるまでになりました。もう行き先真っ暗で為す術がない。故に、この世から逃避しようと考え、自殺をイメージするのです。今思うと、マイナスであれプラスであれ、自分の思考が働いている内は、ただ陰鬱になるだけで、絶体に自殺など出来るものではありません。以前申しましたように、自殺は氣が失せたときの衝動でそれに走るのです。私は物事を感じるのではなく、「考えていた」のです。それは、唯々自分を悲劇の主人公にして、まだ何も手をつけていない世界、面倒な人間関係(人間性の確立=他者との理解)を否定していたに過ぎません。
 そんな時、私の目を醒まさせるような事象が、眼前で起こったのです。それは阪神電車の(旧)福島駅前の踏切での出来事でした。私が通りかかる数分前、大阪行きの特急電車に飛び込み自殺があったのです。その凄惨な現場を目の当たりにして、自分が逃避のために「考えていた」事が如何に愚かで天に背いた所業だったことに氣付いたのです。33歳の秋のことでした。
 人は、本当に余計なことをして失敗する生き物だと感じました。それ以降、我々は心の贅肉とも言える「余計な考え」を排除し、素直に人生を受け入れようと思いました。つまり、心の贅肉を削ぎ落とすこと……自分の心を隠蔽している余分な考えを棄て去ること、自分がうざったいと考えていた人間関係こそ人生の基本であることに氣付いたのでした。人間性があって、初めて才能は生かされるものであり、それを疎かにすればサヴァン・シンドローム(学者症候群=才能に秀でているが世間に役立てることが出来ない)に陥るのです。
 この世は全てバランスで成り立っています。天秤を思い出しましょう。右には才能、左には人間性。このバランスが取れなくては、何も始まらないことを私は氣付かされたのです。

この続きは、また来週……('-^*)/