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今週の喝 第245号(2009.12.28〜2010.1.3) 氣の力を知ろう(52)〜ベートーヴェンの一生は悲劇か喜劇か?〜

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氣の力を知ろう(52
〜ベートーヴェンの一生は悲劇か喜劇か?〜

 

 20歳代初めのころ、オーケストラ(現:関西フィルの前身、ヴィエール室内合奏団)の演奏旅行で、ドイツ・フランクフルトに立ち寄った時のことです。今は博物館になっているベートーヴェンの家を訪れました。
 彼の使っていた、クリストフォリによってやっと現代の形に近づいた初期のピアノや、運命など有名作品の自筆楽譜、彼自身が勘定したギャラの計算書(算術はあまり得意ではなかったようです)などに交じって、晩年患った難聴の補聴器具がありました。天はベートーヴェンに最大の音楽の才能を与えておきながら、彼から聴覚を奪うというとても残酷な運命を選ばせたのです。
 晩年、第九交響曲を発表(初演)した時など、彼の両耳は全く機能せず、初演大成功の聴衆の大歓声も全く聞こえなかったのです。彼は聴衆に背を向け、ちょうど指揮者と同じ向きに位置していたため、全ての楽章が終わり、聴衆が熱狂のスタンディング・オベーションで迎えていることを、全く氣付かなかったのです。
 その様子を見るに見かねて、アルト歌手のウンガー女史が、彼を優しく聴衆の方にエスコートして、初めて自作初演の成功を知りました。
 ベートーヴェンの肖像画から受ける印象と、この様な皮肉とも言える悲惨な運命、そして、その時代の人々の感性の追随を許さない斬新な作風とそれに対する世間の非難や喝采など、どこから見てもドラマチック・ストーリーです。そして、臨終の言葉が、
「諸君、喜劇は終わった」
 まさに、天賦の才能に恵まれながらの闘争の一生であり、人に聴かせる側に徹し、自分自身は聴けない状態になる……これは悲劇です。それを彼は“喜劇”と言って旅だったのです。

=苦は発明・発見の母、「大発見や!」=
 世の中は皮肉なもので、伝染病の研究医は野口英世の例のように伝染病に罹り、音楽家が耳を失い、ピアニストは腱鞘炎(けんしようえん)に苦しみ、料理人は味蕾障害に悩む、そしてスポーツ選手は肉離れや関節痛にうちひしがれ、常に怪我との戦いを強いられます。F1レーサーのアイルトン・セナは、自動車事故でこの世を去り、これから素晴らしい文学の世界を構築しようとした明治の俳人・正岡子規が結核に冒されたのも、これらの事象の象徴的出来事です。
 ここには、自分が生涯を掛けようとしたもので悩み、煩わされるという法則があるのではないかと思うくらいです。この様に考えると、健康で穏やかなどというのは、「真剣にやっていないのでは」と歪んだ考えになりかねません。整合化して考えると、人間に苦はつきもの、その苦を乗り越えて初めてそこにパラダイスが開ける、と少々自虐的になります。物事を大成するには、ぎりぎりまで、自分の心と体を酷使しなければならない証でしょうか。そして、それを乗り越えていくための根性や氣を、しっかりと養ったことも厳然とした事実です。 実は、私も51歳の1月2日の朝起きてみると、全く右の耳が聞こえなくなり、只ビーンと耳鳴りだけがして、それ以来、ハーフ・ベートーヴェン状態が続いております。突発性難聴に罹ったのです。また、講演や講義が一日に延べ10時間というようなハードスケジュールの時、まるで声が出なくなってしまったことも度々ありました。まさに、バッチリと自分の仕事に傾注していたと言うことになりますが、命あって、身体あっての物種です。音楽家として、講演者として、耳が聞こえなくなったり声が出なくなったりした時には、絶望の淵に立たされた感があり、もう自分の人生はこれで終わるのではないかと、完全なマイナス思考に入ったことを思い出します。
 この様な時期に、オーストラリアの高名なシェークスピア俳優である、フレデリック・マサイアス・アレクサンダー(1869-1955)の開発した「アレクサンダー・テクニーク」に出合いました。アレクサンダー・テクニークとは「心身の不必要な動きに氣付き、それを止めて行くことを学習し、頭−頸−背骨の緊張を無くすることによって、事故後のリハビリテーション、呼吸法の改善、楽器の演奏法、スポーツのフォーム、舞台に立つ人間の発声法や演技の改善を促す」方法で、これをマスターすると氣が活性し、身体の初源的調整作用(プライマリー・コントロール)が活性される、誠に素晴らしい氣の活性術です。
 アレクサンダーは、オーストラリアでシェイクスピア作品の若き俳優として有望なスタートをしましたが、舞台上で声が出なくなる不調に襲われるようになりました。役者として致命的な不調で医者も治療のしようがなく、彼は原因をつきとめるべく、三面鏡の前で自分の発話の瞬間を観察してゆきました。そこで彼は、声を出そうとした瞬間に、その「声を出そう」という意欲によって、意識せずに首の後ろを縮めて緊張していることに氣付いたのでした。これが世紀の発見に繋がったのであります。

この続きは、また来週……('-^*)/