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今週の喝 第244号(2009.12.21〜2009.12.27) 氣の力を知ろう(51)〜氣は言葉に宿る!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

氣の力を知ろう(51
〜氣は言葉に宿る!〜

 

  ♪もういくつ寝るとお正月
  お正月には凧あげて、コマをまわして遊びましょう
  早く来い来いお正月
子どもの頃、この歌を聴くと心がワクワクして、とてもじっとしていられなかった自分を思い出します。この歌「お正月」の作曲者があの♪春のうららの隅田川……「花」の滝廉太郎が作ったと言うことを知る人は本当に少ないですね。
 今から110年前、新渡戸稲造博士武士道を英語で発表した年の1900年(明治33年)に作られ、翌年に『幼稚園唱歌』の一曲として発表されました。
 当時の歌は、皆とても難しい文語体で書かれていました。例えば、「一月一日」……♪年の始めの例(ため)しとて、終わりなき世のめでたさを……と子どもにはチンプンカンプンです。軍歌の「元寇」たるや、♪四百余州(しひやくよしゆう)をこぞる、十万余騎(じゆうまんよき)の敵……と来ますからね。これを漢字で見ているから分かりますが、幼児は耳からしか覚えません。きっと「ヨキノテキ」って何だろうと首をかしげたと思います。作った人は、永井建子です。女性がまあ難しい曲を作詞作曲したものだと最近まで私は思っておりましたが、何とこの方は明治の第六代陸軍軍楽隊長で、「ナガイケンシ」と読みます。そう、孔子・孟子・孫子と同じく建子(けんし)なのです。
 さて、このように文語体の難しい言葉ばかりでは、日本の文化は頭の良い人にしか理解されない危険性があると危惧した人達が、明治中期にはいっぱい現れました。そのなかの一人が今NHKのドラマ「坂の上の雲」の主人公の一人、正岡子規です。
    ★柿食えば、鐘が鳴るなり、法隆寺
本当に良いですね。簡単な言葉に情緒が伝わってきます。たった十七文字が、私達の想像力を掻き立て、幽玄の世界に誘ってくれますね。

=言葉は氣合い、文化は花=
 まことに小さな国が開花期を迎えようとしている時、世界に負けない文化の花を咲かせ、武士だけではなく国民皆を勤勉で実直な気風の民族にする為には、言葉を正すことが先ず第一と考え、そしてそれを浸透させるのに音楽を用いるというアイデアは、世界でも稀な発想なのです。現在の東京芸術大学(東京音楽学校)の出発点である「文部省音楽取調掛(とりしらべかかり)」という教育機関の、伊沢修司(初代学長)が、脱亜入欧(福沢諭吉の提唱による西洋化政策)「日本に西洋の音楽を普及させよ」とのお上からの命によって、西洋の民謡などをたくさん紹介したのです。彼は、特に日本の音階(代表は演歌)と音階が同じである、スコットランド民謡が好きだったようです。一番我々になじみ深いのは「蛍の光」ですね。また、「むすんでひらいて」や「蝶々」も外国曲です。
 しかし、まだ言葉が難しい!
そこで、日本独自のメロディーで子ども達の情緒・夢・愛を育む歌「童謡」を作ろうという運動が大正8年に始まります。鈴木三重吉が代表者となり、北原白秋の協力を得て「赤い鳥」という児童文芸雑誌を創刊したのです。そこに現代の歌謡曲発展の立役者である、西条八十や野口雨情が参加して、「かなりや」「赤い鳥小鳥」「青い眼の人形」「十五夜お月さん」「七つの子」など素晴らしい童謡が生まれました。個々で大切なことは、世界中で子供達用に歌を作り「童謡」と名付け、それで情操教育したのは、“日本だけである”ということです。
 鈴木三重吉は、夏目漱石の弟子で、児童文学に貢献しました。これに影響を与えたのが、先ほど紹介した「お正月」です。これは童謡の先駆と言って良い作品で、幼稚園児達向けに作られた初期の一曲です。
 そもそも、『幼稚園唱歌』が作られたきっかけは、東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大)教授で、附属幼稚園の管理も兼務していた東(ひがし)基吉(もときち)が妻の東くめに「子供の歌にしては今の唱歌は難解だ」と相談したことでスタートします。くめは和歌山県新宮の藩主水野家の家老・由比(ゆい)甚五郎(じんごろう)の長女で、14歳にして東京音楽学校に入学した才媛です。彼女が23歳の時、二年後輩の滝廉太郎に話を持ちかけて、出来たのがこの「お正月」なのであります。
 このような作曲の経緯を知ると、簡単に鼻歌で歌っていたのが恥ずかしくなりますね。次世代をになう子供達に豊かな想像力、素晴らしい情緒を育み、日本を世界に負けない文化の国にしようとした当時の芸術家達の並々ならない努力が感じられます。まさに「言葉=氣」を知り抜いていたと言えます。それに反して、今の日本の言葉の乱れは、完全に氣の乱れとなり、最後には独自の文化をも破壊して「脱亜入欧」ならぬ「破滅日本」となるかも知れません。
 何気ないと思うものにも歴史があり、それを命がけで創り上げ、広めていった氣合いの入った人達を、どれだけ真剣に自分達の心に受け入れることが出来るかが、これからの平成日本の行く末を決め、今は萎(しお)れかけている固有の花を再び元気いっぱい咲かせることが出来るのだと私は思います。
 歴史を学ぶとは、そこに生きた人達の氣合いを学ぶことなのです。


この続きは、また来週……('-^*)/