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今週の喝 第237号(2009.11.2〜2009.11.8) 氣の力を知ろう(44)〜“法”をわきまえない日本人〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

氣の力を知ろう(44
〜“法”をわきまえない日本人〜

 

 キリストの弟子・ルカによる福音書「多くを与えられたものは多くを求められ、多く任されたものはさらに多く要求される」という一節があります。また、明治期に日本を広く海外に知らしめる目的で書かれた「代表的日本人」の著者・内村鑑三も、「私どもは、自分の能力をはるかに超える願い事をもち、世の与えうるよりも、はるかに多くのものを望むという、妙な存在なのです」と、大昔から我々人間の矛盾を相も変わらず続いているようです。
 昨今の政治を見ても、国会答弁などでどう考えても矛盾していると思えることを、“言った者勝ち”で答えているのが恐ろしい限りです。また週刊誌などは、粗探しに終始し、問題解決の手段など全く眼中になく、それこそ後出しジャンケンのずるさだけを感じる記事ばかりです。
 政治と報道が歪んでいるところに、これまた、知識一辺倒の教育者が、自分の天命を忘れ、己の生活安定のために教職員になろうとする人も多いように見受けられます。それとは反対に、イデオロギーにかぶれ、バランスを欠いた人間が子供達に偏見を植え付け、間違った歴史観を教えるケースも後を絶ちません。
 政治、報道、教育という国家を支える柱の内、大切な三本がこのように危うい状態になったのは、“法”をわきまえない無責任な人間が、日本全土に繁殖した結果に他なりません。
 これは、戦後の教育から「修身」が消え、成績が良ければそれで良しとするような歪な「能力成果主義」を導入し、“立派な人間”の概念を学ばなかったところに原因があると私は考えます。

=人生は錬磨!何人(なんぴと)も磨けば光るのだ=
 何度も申しますが、この世の摂理は「何もしなければ悪くなる」のです。だからこそ、子供をしっかりと育てるために教育が存在し、物事を修得するためには訓練が必要なのです。「磨かずば、金剛石とてただの石」というように、どんなに頭脳明晰でも、どんなに才能を持っていてもそれを正しい方向に用いることを教え込まなければ、ただの狡賢(ずるがしこ)い人間にしかなりません。
 現代人の多くは、明晰な頭脳を己の利得、名声のためにだけ用い、弱者のために活用しようとすることに氣付きません。つまり、なんの悪気もなく矛盾の世界を作り出していると言って良いでしょう。これは教育の荒廃が原因であることは自明の理です。
 孔子の宣う“人間の道筋”は、放ったらかしの状態で勝手に立派な人間が出来るのでは決してありません。ところが、私も子供のころは、大人になると自然と立派になり、尊敬や憧憬を受けるようになるのだと思っていた時がありました。大きな間違いでした。
 私はある時、私に大きな希望や夢を託してくれた父母や師君がいたことに氣付いたのです。それは、24歳で作曲した「おもいで酒」が大ヒットし、その後の人生が、このたった4分ほどの曲によって大きく変わったときに氣付いたのです。大きなお金が動く世界は、それこそ“生き馬の眼を抜く”世界です。それは、苦と楽の落差が激しい、全く安定感のない世界でした。苦にのたうち回る時、本当の人間の優しさに氣付きます。父母や師君はいつも同じように未熟な我々に愛を投げかけてくれているのに、苦しくならないとそれに氣付かないのです。
 こんな時に、私は「人生に於ける最高の幸せとは何だろう」という、人類究極の回答を求めるようになったのです。そして出逢ったのが、孔子の説く「志学(しがく)・而立(じりつ)・不惑(ふわく)・知命(ちめい)・耳順(じじゆん)」という、人間がその一生に於いてしっかりとその道を辿ってゆけば、明鏡止水の境地に達する生き様でした。
 人間の至上の幸福とは、その晩年に於いて何物にも揺れ動かない盤石とした心を己のものとし、常に物事を歪めずに正しく捉え、ありのままの姿に映し出す鏡のような清廉な心を持つことで、そこには、小欲知足の精神があり、自分の能力をしっかりと見極めた分度が存在するのです。
 反対に、人間の最も不幸な状態は「衰老の辛酸!」です。年老いて、誰からも相手にされず、本当は足りているにもかかわらず、「もし無くなれば、どうしよう」と常に不安が戸を叩く心が自分を支配し、もっと盤石な生活にしておかなければと強欲性のみを発達させ、誰からも愛されない人間になることです。
 還暦(かんれき)!60歳という気の遠くなるような年月を生きてきた人間の到達する境地……それは大宇宙の全ての法則に、素直な心で何も逆らうことなく従った結果、自分自身に何のわだかまりも残らない心を修得できたと言うことなのです。
 しかし、人間は一日一日を安易に生きていると、あっという間の60年と感じるのではないでしょうか。「今日という日は二度と帰ってこない」と言うことを肚に落として、毎日毎日をしっかりと地に足付けて歩んでゆくのです。

この続きは、また来週……('-^*)/