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今週の喝 第236号(2009.10.26〜2009.11.1) 氣の力を知ろう(43)〜あなたの人生から、安易さを棄てよ!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

氣の力を知ろう(43
〜あなたの人生から、安易さを棄てよ!〜

 

 時は明治、初めて電報なるモノが日本に敷設された第一日目、電線にたくさんの短冊状の物が吊してあるので、誰の悪戯(いたずら)かと局員が慌ててそれを取り除きましたが、何度除去しても悪戯は後を絶ちません。そこで影に隠れて犯人を捕まえ、「なぜこんな悪戯をする」と問いただすと、犯人は真顔で「この電線は手紙を運ぶと聞いたので、手紙をくくり付けたのです」……(>_<)
 また、初めて電気炊飯器が世に出たころ、買ったその日に潰れたと苦情を言ってきたユーザーがいました。詳しく尋ねると、「自動的にご飯が炊けると言うので、米代が助かると思って貯金をはたいて買った」とカンカンに怒っています。米を入れずにスイッチを入れ空だきをしての故障です。今も昔も、安易に物事を捉え、取扱説明書などと言う面倒なものを読まない御仁は多くいたようですね。
 同様に、孔子の格言「吾、十有五にして云々……」も、その世代になると、人間が自動的にその境地に入り、放っておいても悟りに至るように思っている方が多くいるのです。古(いにしえ)の賢者がそれを格言として書にしたためたのは、人の道、人間の生き方の理想的設計図を我々に示してくれたのであって、決して歳と共に独りでに悟りがやってくるのではありません。
 それこそ、若くして自分の能力や志向に氣付き、その方向に行きたいと決心し、命を燃やし続けられた者だけがやっと30歳前後に、スタートラインに立つことが出来るのです(而立)。そして挫けずにやり続けた結果、世間の中傷や流言飛語などに揺れない心を持つことが出来ます(不惑)。その上に、己の道に魂を入れ込んみ、周りの人間を巻き込んだ人間だけが、肚の底から不思議なエネルギーが湧いてきて、揺るぎない精神が確立され、自分自身の仕事に“天命”を感じるようになるのです。

=人生の成功は、単純な事の繰り返しから=
 人間の人生に於いて、何事もそう簡単には行きませんが、その仕組みは決して複雑なものではありません。つまり、難しくはないが簡単でもない……この世は全て“単純”なことを継続することによって、達成感、充実感、満足感が得られるようになっています。
 「この仕事こそ、神明が私に給うた天命である」と感じることの出来る「業(わざ)」を50歳にして持った時、人は何事も精神基盤無くして成就はあり得ないことを実感し、世の中の実戦リーダーとして活躍するのです。世の中が軽薄短小で便利になった裏には、それこそ、一部のリーダー達の血のにじむ努力と創意工夫が存在することを努々忘れてはなりません。
 物事・事象は、全て法(摂理)のもとに動いています。この世の法則、やり方(方法)、基準・標準など大自然界の掟から離れることは絶対にありません。また、人間の作る法律や規律もそれが、摂理から離れていたら悪法となり、やがて潰え去ってしまいます。人間も自分の我欲を優先させ、公や周りの人間との調和を乱したならば、必ず最後には辛酸を舐める人生で終わることは必定です。ここにも法は働いています。しかし、人生は一方通行です。失敗という経験や体験で初めて間違いに氣付くこともしばしばです。「後悔先に立たず」「提灯後に灯さず」という諺にあるように、失敗してから悔やんでみても何にもなりません。
 だからこそ、天は我々人間に“師君・父母”を人生の水先案内人として与えてくれました。新渡戸稲造博士が武士道の中で「父母は天地の如く、師君は日月の如し」と喝破しているように、我々には“正しい法”を伝えてくれる人が身近にいるのです。ただし、あまりにも身近過ぎて、見えなくなってしまったり、己の我や感情が邪魔をして正視眼を失った人間が世の大半を占めているのは嘆かわしいことです。
 要は“素直さ”を、而立・不惑・天命の実感から体得した人間でないと、世の摂理である“法”を自分の人生に取り入れることは出来ないのです。この世は「一事が万事」の法によって、我々人間も大自然も推移して行きますから、自分の心にたった一つ“素直さ”を宿らせることで、あらゆる事象の成り行きが分かるようになります。
 心はレンズのようなものです。レンズが歪むと像が歪むように、心が歪むと全ての事象が歪んで見え、周囲全てが悪いように錯覚します。人間は還暦を迎える頃には、世の中を真っ直ぐに見ることの出来る眼だけは養いたいものですね。そして、その正視眼を携えて、何時しか我々も父母・師君と呼ばれる立場になるのです。その時には、孔子が言うように「六十にして法に耳順う」……世の摂理に逆らうことのない、爽やかな前期高齢者?になっていたいものです。
 これも、その氣にならないと決して自動的にそのようになれるものではないことを努々お忘れ無く!(^_-)

この続きは、また来週……('-^*)/