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今週の喝 第235号(2009.10.19〜2009.10.25) 氣の力を知ろう(42)〜天命を知るには、人間関係克服のパスポートが必要!〜

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氣の力を知ろう(42
〜天命を知るには、人間関係克服のパスポートが必要!〜

 

 40歳代で人間が為すべきことは、人間の本質をしっかりと踏まえた上で、人間関係の円滑化を自分の手で成し遂げる手腕を持つことと、何からも絶対逃げない氣を養うことです。
 人は最も嫌いなモノとして、ほとんどの場合「人間関係のうざったさ」をあげるでしょう。先日も民主党幹事長の小沢一郎氏が自宅にたくさん烏骨鶏(うこつけい)を飼っているのがTVで放映されました。そして、インタビューアが「どうして鶏を飼っているのですか」という質問に、小沢氏は「鶏は人間のように嘘をついたり、言をひるがえさないからね」と回答。人を育てることに掛けては天才的で「小沢学校」とまでいわれる人でさえ、その心の奥底には、人間関係のうざったさには辟易としている証拠ではないでしょうか。私は小沢氏に会ったことも民主党派でも何でもありませんが、彼は人間の性悪性をカルマ(業=持って生まれた性質)として受け止め、それでも人間社会を生きてゆかねばならない縁起を悟ったのだと思いました。
 人間はうざったいモノ!
この定義に真っ正面からぶつかり、それを克服しようとしたからこそ、小沢氏の現在(いま)の象(かたち)があるのです。大方の人間はその「うざったさ」に負け、いくら逃げても「人生逃げ場無し」で避けられないにもかかわらず、自分だけはもしかして「楽と得」の道があると思い、嫌な相手との関係を遮断してしまうのです。
 いや、そんなに深くも考えずに、ただ嫌なことからの逃避を無意識にしているのかも知れません。
 人が必ず通らなければならない(人間関係克服の)峠を超えた者だけが、「五十にして天命を知る」ことが出来るのです。

=天命は、努力の継続と出逢いによって氣付く!=
 昭和初期に広島で活躍した教育者で宗教家であった住岡(すみおか)夜晃(やこう)先生の言葉、「念願は人格を決定す。継続は力なり」……偉大と言われた人間は、どの伝記を読んでも、今私達が学ぼうとしているこの孔子の格言通りにその生涯を歩みました。そして、幼少期に立志し念願をたて、それをずっと脇目もふらずやり続けた人だけが持つ行動力や品格は、あたかも天がそれを命じ、その為にこの世に生を受けたかの如く、風格と仁義に満ちています。それは、自分の体内に常に迷いのない氣を宿らせ、それを錬磨し続けた結果なのです。
 風格とは、その人間がいるだけでエマーソン「一人の人間が、周りを変える」と言ったように、また孫子の兵法にある「戦わずして既に勝つ」エネルギーを持っている人間の威厳です。そこに到達するためには、十有五(じゆうゆうご)、三十、四十とそれこそ血のにじむ思いで、自分自身の性質と戦い続け、悪いところは修正し、良いところは挫けずに育ててきた輝かしい歴史があります。
 ここには、神明が宿り、天の下(もと)に忠実であったため、自分がこの世で為すべき使命に巡り会えた充実感と満足感が満ち溢れています。
 「五十にして天命を知る」とは、まさにこのような心境を自分の精神に培うことの出来た人間の姿です。決して、“天”という存在が、我々に「○○をしなさい」と霊言を与えたわけでも、「おまえは“△△用の人間”だ」とあなたを作ったのでもありません。しばしば、「先生、私は何のためにこの世に生を受けたのでしょうか。もうすぐ50歳を迎えますが、私の天命は何ですか」と尋ねる御仁がいます。これはいささか生意気というものです。「天命」なるものは50歳になると、自動的に二十歳の選挙権のように与えられると思っているのでしょうか。「天命」とは、半世紀の間、血のにじむような努力と自己葛藤の中で、自分自身が身につけたまさに「命」と言うべき業(わざ)なのです。
 業には意志が存在します。同じように継続し、技術的に優れた手腕を獲得しても、そこに意志を込めなければ、それはただ腕によい職人芸でしかなく、決して「匠(たくみ)=Maestro(マエストロ)」として尊敬と憧憬(しようけい)をもって世の中に迎えられることはありません。「業」に意志がなければ、それはただの「技(わざ)」にすぎないのです。
 孔子の生きた時代から、何も変わることなく、人間には「業」をもって世に貢献した人間と、ただ、我欲や楽得に翻弄され、自分がこの世に生を受けた意義など何も考えずに老いさらばえた人間の二種類しかありません。
 人は、何もしないで放っておけば、必ず品性や人格は見苦しくなると言ってもいいでしょう。何の躾も受けなかった人間が、歳と共に氣付き立派になったという事例があったでしょうか。人は、苦い人間関係に立ち向かい、自分の心の蠢動(しゅんどう)を夢と萌芽させ、それを成就させる意志の中で、人は思いもよらない「出逢い」を体験するのです。己の天命を知った人間とは、素晴らしい発心と、その溌剌(はつらつ)とした心のエネルギーがもたらした必然的出逢いによって、自分以外の力(=他力)の偉大な存在(=神)を心の底から感じた人間なのです。


この続きは、また来週……('-^*)/