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今週の喝 第217号(2009.6.15〜2009.6.21) 氣の力を知ろう(24)〜企業は人なり!”氣”の原点は掃除から〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

氣の力を知ろう(24
〜企業は人なり!”氣”の原点は掃除から〜

 「やることを決め、決めたことをやる」
この言葉は、京都機械工具株式会社(KTC)の社長、宇城邦英(うしろくにひで)社長が座右の銘とされている言葉です。私も、同社が社会事業として創られた「京都ものづくり技術館」を見学したとき、社長直々にその言葉を拝受いたしました。また、社長は、機械工具を作っている会社であるにもかかわらず、「和服で工場見学して頂いても、油染み一つ付かないです」と豪語されるだけあって、徹底して掃除や整理整頓が為されとても清潔です。
 掃除は、“してもらって嬉しいが、するのは嫌”という人間の性質を計る最も原初的な仕事です。そして、不思議に“させられた掃除”“率先して行った掃除”は見分けが付きます。すなわち、掃除に対する心構えには能動と受動があり、能動的に掃除をする人は、何をするにも“目的意識”がハッキリしているが故、自分の感情から生じる“好き嫌い”を乗り越えて何事も遂行します。人間は「一事が万事」のことわざ通り、面倒くさいという感情を乗り越えて、美しさという理想を求める掃除の精神が、全ての行動に反映され、物事を完遂する能力の源となるのです。
 京都機械工具株式会社は、本当にさわやかで規律正しい雰囲気がみなぎっています。それは、そこに働く社員の皆さんが、社長の意志をしっかりと理解し、率先垂範の心によって美化をすすめているからです。だからこそ、そこで作られる製品は世界一流の折り紙が付けられるのです。
 企業は人なり、そしてそこに集う人間は、氣によってその一生が決まるのですから、自分の理性的感覚に勝利をもたらすためにも、能動的な氣を出すことが最も重要な要素であります。そして、その形が掃除に現れるのです。

=先ず行え!さすれば気分は爽快=
 「やることを決める」……人生や経営に於いて、このように単純なことが分かっていない人が大勢います。また、上司からやることを言い渡されても、それをなぜ自分がやらなければならないかという目的意識を自分の肚に落とし込めていない人間は、マイナスの氣が心を支配し、どうしても能動的になれません。この目的意識を肚に落とし込む行為自体も、実は、それがその内容にあるのではなくて、その事を行う人間の氣の性質に全ての原因があるのです。
 「何故、私がやらなければならないのか」と考える人間は、常に思考が消極的で、自分のやる意義を見いだせない方向に向いています。このような人間は、新しい氣が体内に入ってくることを自らの思考(イメージ)で遮断し、悪い方へ悪い方へと自分自身を導いて行きます。
 このように氣を内側へ込めることを「内気」といい、陰にこもるのを「陰気」、氣の出し方の弱いのを「弱気」、氣を引っ込めて考えることを「引っ込み思案」、氣を引っ込めながらする呼吸が「ため息」なのです。こうなると、やる氣を失い、孤独になり、ますます物事が上手く行かなくなり、それが潜在意識に定着して常にマイナス感性が支配する性質を育みます。
 自分が何をやって良いか分からないときは、何もやりたくないときです。そこでそんな時は、無理をしてでも身の回りの掃除から始めて見て下さい。何も考えず、無心に只只周りが美しくなり、気持ちが良い思いをするためにだけ身体を動かしてみるのです。掃き掃除(掃除機でも可)拭き掃除、整理整頓の全てを臍下にある丹田に氣を込めて、一所懸命にやるのです。
 丹田に氣を込めるとは、尾籠(びろう)な表現ですが肛門を閉めると臍下に何かしら身体の中心のような感覚が現れます。その時軽く下腹を拳で叩いてみると、不思議と人間は無意識に丹田を叩きます。その位置が分かると、そこに我々の氣のツボがあり、何事もその丹田から移動するような気持ちで行動するのです。すると、ランナーズ・ハイ同様、必ずある時点から、無心に同じ動作を繰り返すことが出来るようになるでしょう。
 人間の行動や人生に於ける事象は、何一つ無駄がないと古人は言いました。自分のやることに疑問を感じたり、無駄に思ったり、目的意識を見いだすことが出来ないのは、その人間自体がマイナス感性に犯され、ニヒリスト(虚無的人間)になり、何をやってもナンセンス(無意味)と感じたならば、完全に氣が病んでいるのです。
 私は、眼前に現れた事象や自分に与わった仕事はその意味を考える前に先ず「どうすれば完遂できるか」と思い巡らすことにしています。つまり、「決めたこと(決められたこと)をやる」こと、それも無心にやり、全て無し終えてから振り返ることにしています。すると、やる前は、無意味ではないかと感じたことも、やり終えた後では思いもよらない修得があることに気付くのです。これこそ、“氣”の醍醐味と言えましょう。

この続きは、また来週……('-^*)/