M&Uスクール

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今週の喝 第216号(2009.6.8〜2009.6.14) 氣の力を知ろう(23)〜人間は誰しも苦しみを乗り越える能力を持っている!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

氣の力を知ろう(23
〜人間は誰しも苦しみを乗り越える能力を持っている!〜

 瞑想から得られるもの、それはこの大宇宙の全ての実相を関知する感性を体得することです。呼吸を穏やかにして、自分の心をわだかまりのない開放状態にすることから始めます。しかし、瞑想の難しさは、心を安寧に保つためにやるにもかかわらず、それが本来必要なときは、心穏やかでない状態の時であるということです。
 従って、心穏やかな状態の時に、自分自身の鍛錬をしておかなければなりません。これは、音楽やスポーツなどと同様に、日頃の訓練によってしか体得できません。毎日、毎日欠かさず訓練に集中することが何事も大成の秘訣であることは分かっていても、ある一定の領域までなかなか到達できません。
 私の経験から言うと、中学生の時、私は短距離走は得意でした(陸上部でもないのに体力測定の時、50メートル走で6.8秒のタイムを出したことがあります)が、マラソンになると途端に身体が拒否反応を起こしてしまい、走っている最中に妄想が顔を出し、「何で、こんな無駄なことを私はやらされなければならないのだ。嘘をついてリタイヤしてしまおうか」などと否定・受動・怠慢・気散の心が悪魔のささやきの如く自分自身を洗脳し、嫌気と斑気で頭も身体もヘトヘトになっていました。こうなると、成績は自ずから悪く、いつもビリから2番でした。
 想念が悪いと結果も悪い……当然のことながら、どうしても乗り越えられない壁がそこには高くそびえ、ますます、マラソンでは横っ腹が痛くなり、気が滅入ってしまったのを思い出します。そんな時、クラスの友人友沢君が、「おい梅忠、マラソンは誰でも苦しいんや。そやけどな、ある時までの辛抱や。それを過ぎると、不思議なくらいからだが楽になる。それを乗り越えたらええのや。俺らの身体はなあ、苦しいことを乗り越えるように出来てるンやで。今度一緒に走ったるからな……」 

=ランナーズ・ハイを経験して=
 友沢君は本当に良い友達でした。落ちこぼれそうになる私のそばで、「息を深く吸うンや。お前の得意な楽器と同じようにな。俺も横っ腹が今痛いンや。もうちょっとやから頑張れ!」と叱咤激励してくれます。さて、脂汗を流しながら友沢君について走っていると、あら不思議!有る地点から全く疲れを感じなくなり、気分も爽快。そして、頭の中は空っぽの状態で、とても気分が良いのです。また、足の疲れも身体のつらさも全く感じなくなり、自然と身体が前に進むのです。この体験を後で体育の亀若先生に話すと、「それはな、ランナーズ・ハイちゅうて、人間みんな苦しいことを克服しよと思てやってると、脳みその中から麻薬みたいなモンが出てきて、絶えられるようにしてくれるンや。わしが何でマラソンさせたか分かったやろ」と明快な回答をいただきました。
 以来私は、苦しいときは、何も考えず辛抱して続けることを習慣化したのです。肉体の苦痛はある一時点まで辛抱すると、自然にそれを解消しようとする作用が生じます。それが“ランナーズ・ハイ”で、これはもう“境地”という以外表現のしようのない現象です。仏教の修行者が、七日間断食断水不眠不臥千日回峰行という荒行ができるのも、これと同じ現象が体内に起こるからです。そして、その時の境地は<集中と能動>の氣に満たされた無我が支配し、悦楽状態の中に“神仏”の存在、我々の存在を超える存在“天意”を実感すると言われます。この感性を実感した者は、自分たちの体験する事象はその全てが己の幸福のため、成功のために必要な試練や経験であり、それを乗り越えたところに、明鏡止水の境地が広がっていることを確信します。
 我々人間の最大の幸福は、金持ちになることでも、栄誉栄華の中で生きることでもありません。また、貧乏や才能の無さを嘆き、自分自身が不幸の代名詞のように感じるのも可笑しいことです。お金のないことが嫌だと思う心を持っているから、不幸と感じるのです。どんなことが起きても、揺らがない心を持ち続けることこそ、人間最大の幸福なのです。
 それには、我々の住まうこの宇宙の摂理(法則)を関知し、そこに生まれた人間の心の動きを知り尽くして、初めて自分の在り方を決めることが出来るのです。その為に、全ての物や事象から、その本質(何のために存在するか)を感じ取る素晴らしい感性が必要になります。
 感性を磨くことは、楽器やスポーツの練習と同じく、じっくりと自分の心を平静に保つ訓練が必要なのです。人間は、今は必要なくとも、いつの日か必ず自分の人生に苦悶したり疑問を抱いたりするときがやってきます。その時を乗り越えられる人間になるためにも、我々は、日頃より心の鍛錬であり、大宇宙との氣の交流である“瞑想”に至る訓練を惜しんではならないのです。

この続きは、また来週……('-^*)/