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今週の喝 第193号(2008.12.29〜2009.1.4) 〜間奏曲……去りゆく年2008に思うこと〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

間奏曲……去りゆく年2008に思うこと

 

 非正規労働者……パートタイムや派遣社員、そして外国人労働者の馘首が世を騒がせ、田母神発言に道理の分からない批判が横行した年の瀬。今我々日本人は何かとてつもない間違いを犯しそうな国になってきました。
 突然会社から契約打ち切りを宣告され、その上、家を追い出される力なき労働者の報道が毎日のように、新聞やテレビで流れてきます。そして、世間の論調は、彼らはこのような世情の時の労働力調整のために、会社側は雇用したのだから仕方ないとか、青年期に入って自分の進むべき道を定めず、食いつなぎとしてその会社を選んだのだから承知の上だったはずだと喧(かまびす)しい限りです。
 何はともあれ、まるで蟻とキリギリスの寓話の如く、(昔日の)日々の努力の無さを突く人もいれば、会社側の身勝手や経営陣の無策に矛先を向ける人など、さまざまです。

=世の摂理=
 百年に一度と言われる平成大恐慌は、人間の欲望が究極の形に達し、本来、経済を安定させるべき立場にある金融機関(銀行、証券会社、保険会社など)が、こぞってハイリスク・ハイリターンの証券化商品レバレッジなどの博打的要素の高いシステムの導入で、短期間に結果を出そうとする儲けようとする者(亡者)の心理を上手く利用して、本来眠っているお金(金融資本)を揺り起こしたことに始まります。その結果、金融機関自体がその商売相手である一般企業を信じられなくなり信用収縮を引き起こしました。そして、借り手側の中には「金利さえ払っておけば銀行は潰さないだろう。無い袖は振れないよ」と高を括り、当初の約束を平気で破るものさえ出てくる始末です。そして、その報復であるかのように貸し渋りはもちろん、貸し剥がしにまで及び、ますます不況に拍車がかかってきました。
 つまり、この恐慌は、人間の欲望が産んだ金融システムが、あまりにも摂理からかけ離れたために起こった天罰であると私は思います。このようなシステムの特徴は、ネズミ講やマルチ販売同様、当初荷担した者は利益を上げ、それを見ていて後発的に参加した者が破綻するという欲望原理の最も単純なパターンです。そして、その最後は力亡き者がより苦しんで終息するのです。
 今から20年ほど前、日本の経済評論家のH氏は、「土地は神代の昔からその値が下がったことがないので土地本位制が正しい」などとおかしなことを言い、地上げ屋が横行して日本全国土地バブルが起きたことを思い出します。世の摂理は、「上がった者は必ず落ちる、生まれたものは必ず死ぬ、いつまでも美貌を保てる女性等存在せず必ず老いる、苦を経験していない賢者は存在しない」など、万民に平等の試練や定理を与えています。
 しかし、いくらこのように原因究明や犯人捜しをしても、苦しんでいる人々は厳然といるのです。だから、誰が悪いとか何が原因かなどと言っているよりも、これから日本人みんなが取らなければならない行動や考え方について、しっかりとした指針を示して行かねばなりません。

 ここからは私の意見ですが、この今週の喝で山岡鉄舟、白隠禅師、楠木正成など偉人に学ぶシリーズを掲載してきました。それは全て彼らの生き方が人々を救う精神の持ち主であったからです。
 人間の社会は、いつの世も権力を持つ者と支配される者に分かれ、そこに権利と義務が存在します。現代社会も経営者と雇用者という構造があり、そこに厳然と両者の権利と義務が存在します。法律は各々の権利を明文化し、それを犯す者に罰則を与える形で規定しています。そして、義務の励行はそのモラルの育成を教育に委ね、その両者は対等であるとしています。例えば、経営者は従業員に給料を支払う義務があり、働かせる権利を持っています。反対に従業員は働く義務をもち、給料をもらう権利をもっているのです。すなわち、ここに経営者、従業員の権利と義務は存在しますが、これが全く正反対であることにお気づきでしょう。
 さて、権利と義務は同等であっても、それを行う者にとっては優先順位が必ず存在します。ある会社で、経営者は「働けば、給料を上げる」と主張し、従業員は「給料を上げてくれれば、働く」と双方が権利の主張をしたことがありました。結果は、歩み寄りが見られなかったために倒産の憂き目に遭いました。つまり、保証された権利だけを行使しようとすると破壊がおとずれるのです。
 そして、今回の自動車関連を始めとする非正規労働者切りは、まさに弱者の切り捨てという権利行使のみ、義務の励行無しの行為だと思います。これは、経営陣の無策のなせる業と私は思うのです。成長はいつか衰退を迎えることは自明の理であるにもかかわらず、その備えをしていなかったことにその原因があります。また、いくら法令でいつ解雇しても良いと定められている非正規労働者であっても、その中には愛社心もなく、ただ給金のためだけに身を置く者でも、彼らが配下にいる以上、その姿勢を正す指導をしなければ、リーダーとは言えないのではないでしょうか。その意味で、弱者切り捨ての今回の所業は、経営者失格と私は思います。そして、そんなに簡単に済まされないほど、大勢の人が困っている現実を経営者はどう感じているのでしょうか。
 今更言ってみても、すでに時遅し!今処置をしなければ、会社自体がおかしくなるのも事実です。ここで、小泉元首相の「米百俵」ではないですが、痛みを分かち合い、会社とは本来何のためにあるのかという根本理念を確認するためにも、会社や経営陣が励行しなければならない「義務」についてじっくりと思い返す必要があると思います。
 新渡戸稲造博士「武士道」で述べた、ノーブレス・オブリージュ=高貴なる者の義務を果たす精神を、いま世の経営陣が振り返らないと、この世界大恐慌が終息した時に、日本という国家自体がその精神基盤を崩壊させてしまっているかも知れません。
 「思い立ったが吉日」の格言通り、足下に火が付いてきた今からでも、リーダーたるべき者の使命を振り返り、その義務の励行から始めれば、必ず蘇生することは、歴史が物語っています。力を持っている側であるがゆえの義務の励行こそ、弱きを助けるリーダーの第一の智恵と言えるのではないでしょうか。そうすれば、本当に良き年を迎えることが出来ると私は信じております。


       皆さん早く目覚めましょう……('-^*)/
      (次週から新しいシリーズが始まります!)