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今週の喝 第192号(2008.12.22〜2008.12.28) 〜偉人に学ぶ……楠木正成(14)〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

偉人に学ぶ……楠木正成(14)

 

 楠木正成が神戸・湊川の合戦で弟正季(まさすえ)と差し違え自刃(じじん)したころ、新田義貞も生田の森で足利全軍とぶつかり合い、ついに敗れ、西国街道を東へと逃げこれを追撃した足利尊氏は、26日には西宮に達していました。
 そしてその頃、湊川では正成以下の首が尊氏の手の者に発見されました。
 正成の頸(くび)持参せらる。実検(じつけん)あり、まぎるべきにあらず。
と足利勢から見た記録「梅松論」は記しています。この「まぎるにべきにあらず」という書き方から見て、足利方の胸をなで下ろした気持ちが伺えます。尊氏が最も恐れていたのが正成でした。正成の真価を一番買っていたのは、後醍醐天皇をはじめとする味方勢よりも、むしろ敵の尊氏だったのです。
 そしてその二日後、義貞が負けて京都に逃げ帰ったことで、公家達はあわてふためき大騒ぎとなりました。27日には、後醍醐は比叡山に難を避けました。結局、正成が最後に立て、上奏した作戦通りにせざえるを得なかったのです。
 足利軍は比叡山を囲みますが、どうしても攻め落とすことが出来ません。かえって周辺から脅かされる始末です。やはり、正成の読みは当たっていたのです。しかし、この頃となってはすでに兵力の差が大きすぎたために、後醍醐は、十月になると新田義貞を切り捨てた形で投降します。これも正成の第一の策謀と全く同じです。しかも最悪の形で実現したので、もはや何の意味もありません。正成の的確な見通しを、誰も予測することが出来なかったのです。
 それにしても、こんな体たらくな公家共のために、命を投げ出した正成の悲劇は、言葉に尽くせないものが漂います。

=武士の情け=
 京都に入った足利方は、正成の首を六条河原に晒します。京都の人に自軍の勝利を誇示するために、兵庫からわざわざ運んできたのです。すると早速何者かによって狂歌が立て札に張り出されました。
 疑ハ人ニヨリテゾ残リケル マサシゲナルハ楠(くすのき)ガ頸(くび)
「この首は本物でっか」とからかっているのです。「マサシゲナ」と「正成」を掛け言葉にしゃれているのです。
 尊氏は、その首を持ってこさせました。梅雨時のことなので、相当腐乱が進んでいたことでしょう。公私ともに親しかったこともあり、何とも哀れに思い尊氏は涙を流しました。そして、残された正成の妻子はもう一度この死に顔を見たいであろうと、丁重に河内へ送り返すことを命じます。これぞ武士の情け!稀に見る美しい所業です。そして、梅松論は、
「誠に賢才武略(けんさいぶりやく)の勇士とはこの様な者を申すべきと、敵も味方も惜しまぬ人はいなかった」
と、褒め称えています。
 そして、それから11年後、息子・楠木正行が、四条畷の戦いで、父と同じ最後を飾るのです。(バックナンバー:楠木正成(12)参照

 親が立派な姿を見せると、子も立派な生き様を示す。これこそ人間社会が訓育によって成り立つ証しです。その美しさは、人の持つ義務と権利の優先順位に全てがあると私は思います。世のリーダーたるべき自覚を持った人間なら、まずは民衆の模範となってその在り方を示す。これこそ武士道の根幹です。
 現在、この経済社会に於けるリーダー達は、自分の才能や権利を自分自身の利得のためにだけ用い、自分たちに利益をもたらす手段ばかりを模索し、法に触れなければ何でもありと策を弄し尽くした結果、力なき多くの小市民を犠牲にする大恐慌を作り上げました。
 サブプライムローン、証券化商品、レバレッジ、信用収縮など、全てが我欲に走った頭脳明晰な人間の所業です。この平成大恐慌は、「人災」なのです。今は、政府は政府の、金融機関は金融機関の、会社は会社の役目役割を再認識し、何のために自分たちが「在る」のかを、見つめ直す絶好の機会だと私は思います。そこに、武士道の説く「義務と権利の在り方」は、揺るぎないお手本として、世の行く末に光明を照らしてくれること必定です。

(教訓)
 我々のご先祖さまは、素晴らしい精神を
 自らの生き様で示してくれはりました。
 今こそ、しっかりと見習うて行きまひょな!


       この項はこれでお終い。
       来週から新しいシリーズですよ……('-^*)/

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