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今週の喝 第172号(2008.8.4〜2008.8.10) 〜偉人に学ぶ……白隠禅師(24)〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

偉人に学ぶ……白隠禅師(24)

 白隠禅師の提唱する内観法・軟酥の法を実践すれば、不思議なエネルギーを誰もが簡単に体感することでしょう。まず、手足から力が抜けて温かい感じがし、そしてジーンとした感覚と共に、お腹の底から自信と勇気がモリモリとわき上がってくるのを感じます。このとき、自分の思考状態はプラスの方向にあると私は考えます。
 身体が柔らかく、想念がプラスの方向を向き、呼吸が緩やかで深いというのは、身体・思考・呼吸が何らかの形で繋がっている(平行移動している)証しです。確かに、心の暗い人間は(暗い心の状態になった時には)、肩がこり、呼吸は浅く荒いことに気付きます。
 いまから四十数年前、私が中学一年生の時、ブラスバンドの初めてのコンサートでステージに上がったときは、緊張のあまり、指が硬くなり、喉は渇き、背中の筋肉が突っ張って、思うように息が続かなかったことを覚えています。これが、いわゆる<上がる>という状態で、心も身体も自分の意志ではどうすることも出来ませんでした。
 病気、上がり、喧嘩といったマイナス要因で自分の心が満たされた時、確かに筋肉が固くなり、呼吸が乱れます。このことからも軟酥の法や白隠の内観法は、誠に理に適った心身調整法であるのです。

=能動と集中こそ気付きの要=
 白隠禅師がこのようなことを会得することが出来た背景には、生来持っていた特殊な感受性が目覚めたことが大きく影響しています。今までもお伝えしてきましたように、白隠は幼少の折から聡明さと臆病さを並立して宿し、感受性が強いために、小さい内から人生に於ける原初的な苦や恐怖に思いを馳せ、それから逃れたい一心で、尋常ではない行為行動をとることもしばしばでした。
 白隠自身有力な町家の出で、子供時代には村芝居を見て、地獄が怖いと泣き叫び、熱い湯に飛び込んで地獄の怖さを実感したかと思えば、読経しながら、膝に焼け火箸をあて、「熱い」と七転八倒して自分の修行はまだまだだと悶絶する。かと思えば、死に物狂いで坐禅三昧にふけったり、小覚(小さな悟り)を得て天狗になったりと、その前半生は非常にマニアックで、今でいうオタク的な人物であったと私は思います。
 このように“変な人”であったが故に、数奇な師との出逢いが多くあります。不思議な僧侶休心房を皮切りに、多くの高僧との出逢い、中でも白隠の鼻をへし折った正受老人(正受慧端)、そして白隠の禅病に対して軟酥の法を伝授した白幽子は、白隠に生命の実相を会得させるために仏界が差し向けたような感が否めません。
 このような素晴らしい師との出逢いがあってこそ、一人の菩薩心(慈悲と理知)を持った人間が出現するのです。この出逢いは、「類項作用」と呼ばれる世の法則によって「縁」が出来ました。俗に言う、「類は友を呼ぶ」のことわざ通り、白隠はオタク的ではありましたが、その能動性と集中力は並外れたものがありました。その所為か、白隠の周りにはその時節に応じて必要な師が現れます。まさに、人の出逢いは、己の求めるものを察知するかのようにその回答がやってくるのです。これぞ、潜在意識の持つエネルギーであり、心理学者のユングが提唱する集合無意識を伝って情報がもたらされたのです。
 人は恐怖や苦しみがあるから、そこから逃れたい、本当の喜悦とは何だろうと思念し、感じ、行動するのです。また、我々に課せられた「苦」は、天の法則から逸脱したときにやってきます。この時、消極的で逃げ道を模索するような人間は、ますます苦が大きくなってゆきます。苦は借金同様、時間と共に増えてゆくのです。だからこそ、いち早くこの苦の原因が全て自分の側にあり、それを修正してゆく事に気付かなければなりません。その時会得した修正法こそ「人間の智慧」そのものであり、次世代に伝える大いなる財産なのです。
 そして、苦しみのたうち回りながら、気付きの道を行く者には、その先達ともいうべき同じ道を歩んだ師が現れます。人間が苦を乗り越え、悟りの境地に向かう過程に王道や例外はありません。従って、師も無意識のうちに、自分がかつて歩んだ道を懐かしく思い、その苦に果敢に立ち向かった時代をオーバーラップさせるのです。
 自分の誤りに気付いた者は、積極性と集中力の中にあるバイブレーションが、良き師の心にこだまして、時節に応じた師を迎え入れるように我々の人間世界は成り立っているのです。

 求めよ、さらば 与えられん

        イエス・キリスト


この続きはまた来週……('-^*)/