M&Uスクール

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今週の喝 第162号(2008.5.26〜2008.6.1)〜偉人に学ぶ……白隠禅師(14)〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

偉人に学ぶ……白隠禅師(14)

 私、梅谷忠洋はフルートの演奏家でもあります。中学入学と同時に吹奏楽部に入部し、そこで渡された楽器がこの西洋横笛でした。フルートは、テレビなどで美しくかよわき女性が華麗に演奏している姿が一般的ですが、手にしてみると大違い。管楽器の中でトロンボーンと一、二を争うくらい大量の息が必要です。しかも、トロンボーンと違って息の量の割にボリュームが出ないため、私は意地になって吹いてしまい、楽器を手にした初日に過呼吸症で保健室に運ばれたことが思い出されます。
 そんな時、部室の隅っこに、
 「真人(しんにん)の息は踵(きびす)をもってし、衆人の息は喉(のど)をもってす」
と言う格言が張ってありました。当時はどういう意味か全く分かりませんでしたが、後になって妙にその言葉が引っかかるので、しっかりと先生に尋ねると、腹式呼吸をしろと言うことだ」と教えて頂きました。
 これは荘子の言葉で、真人とは達人のことで、真理に目覚めた人のことです。東洋の呼吸法は、例えば剣法、弓道、合気道、柔道など、どれをとってみてもみな「腹」が大切だと教えます。つまり下腹部に気合いを入れて、足を大地にしっかりとおろした感じで呼吸をする……踵で呼吸をするような感覚です。口でハーハーと呼吸をする胸式呼吸ではなく、足を踏みしめた丹田呼吸(腹式呼吸)が全ての基礎となっています。その時、足は大地につながり、吐く息は口から宇宙へ広がり、吸う息は踵(きびす=かかと)から大地のエネルギーを吸い上げるというイメージを持つのです。常に重心を下へ下へと意識し、緊張感を下腹に集中し、身体の上部は、頭も、首も、肩も出来るだけ力を抜くことが大切なのです。
 そして、臍下丹田(せいかたんでん)に気合いを入れるのです。

=考えることを放り出せ=
 白隠禅師の「内観の法」「軟酥(なんそ)の法」も、この丹田呼吸を最も重要視し、「丹田は宇宙に通じる」と説いています。世界中の様々な思想家、賢者、仙人、道士、芸術家など全ての人が目指した宇宙との一体感によって身体の調和を保つのです。その鍵は臍下丹田の充実にあるという大前提をしっかりと示唆しているのです。
 臍下丹田(せいかたんでん)とはヘソの下一寸のあたりにある身体の中心とも言えるツボです。心の中心は「仁」で、身体の中心が「丹」です。人の正しい在り方は心身一如にして初めて達成されます。つまり、仁と丹が一つになるエネルギー<仁丹パワー>が生まれるのです。お口スッキリの森下仁丹という登録商標は、このような根源的エネルギーから取った素晴らしいネーミングなのです。

 白隠は、白幽仙人の教えをしっかりと守って、禅病克服に専念することにしました。それは、禅の修行をいったん中止することです。しかし、ここで白隠は、次なる疑問が湧いてきました。それは、「何もしないでいるとかえって気血が滞ってしまうのではないか」ということでした。
 これに対しても白幽仙人は、
「夫(そ)れ観は無観を以て正観とす。多感のものを邪観とす。向きに公多観を以てこの重症を見る。今是を救ふに無観を以てす。また可ならずや」と答えています。
 つまり、観(考えて意識すること)を止めるのではなく、考えるか考えないか、意識するかしないか、その両方を同時にぱっと飛び離れたその奥へ心を沈めよ。それが正しい観相であると喝破しています。だから、ああだこうだといろいろな思慮分別や思索をめぐらす(多感)のは誤っているのです。
 実際に白隠自身があまりにも多くの公案・工夫の過ぎた結果が重症の禅病にかかったのです。だから、これを救うには、無観をもってやることが一番。考えないのではなく、考えることを放り出しなさいと白幽仙人は指導します。
 そして結局、この放り出した無観こそ禅の悟りの境地でもあると説き、「分けて考えてはならない。安心して内観の法に努めなさい」と語っています。
  天が想像した「人」とは、実に良くできた生き物で、一つの境地が全ての悟りにつながるのです。まさに、人は木の葉や枝という単体ではなく、森全体の調和によって生まれる豊かな自然と同じなのです。  

 何はともあれ、先ずは丹田呼吸から


この続きはまた来週……('-^*)/