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今週の喝 第161号(2008.5.19〜2008.5.25)〜偉人に学ぶ……白隠禅師(13)〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

偉人に学ぶ……白隠禅師(13)

 白隠禅師は、嘘をつかれ、自分を貶められても相手の人間のことを考え、罪は憎んでも人を憎むことはありませんでした。何故このように崇高な精神を持つことが出来たのかと考えてみると、その回答は「悟り」の中にあるようです。
 我々迷える人間から「悟り」とは何だろう、全ての道理が分かり、明鏡止水の境地に至るとは聞くけれども、それはどのようなものであるかは我々無明な者には計り知ることは出来ません。
 我々は単純に他人の流言飛語に惑い、己の欲望に迷います。しかし白隠は、嘘をつかれたにもかかわらず、そのような人々の態度に動じることもなく、只只その嘘の一番の被害者である「幼子」を可愛がり、愛でました。
 何故このようなことが出来たのかと考えることこそ「凡人」の証であり、悟りを得た「聖者」であるから、こんな清廉な態度でいることが出来たというのが正しいのではないでしょうか。つまり、「悟った」からこそ、腹を立てなかった。もっと突き詰めてゆけば、これから先のことが分かるから、腹を立てる必要もなかったといえるのです。
 悟りとは「現在・過去・未来」を超越した姿、つまり仏教で言う「三世諸仏」が降臨してくる状態なのだと、私は考えます。
 そして、そのような感覚の持ち主であるが故に、多くの衆生に愚かな生き方を戒め、素晴らしい人間への変身法を気付かせる使命を持って生まれてきたのかも知れません。
 そんな使命を白隠が気づくために、死後の世界に恐怖する敏感性を生来持ち、禅病に罹ることになったと考えてもおかしくありませんね。   

=秘法中の秘法=
 白隠禅師が、もう少し違う感性(例えば、もっと豊かな感性や、賤薄な心)でいたなら、夜船閑話に書いたるような「内観の法」や「軟酥(なんそ)の法」を知ることはなかったでしょう。病も後知恵で考えれば、素晴らしい効果をもたらすことは理解できます。つまり、「苦があるからこそ気付きがある」という簡単な回答です。
 我々は、歯が一本痛くても、落ち着いて仕事をすることは出来ません。それが、自分の生涯を掛けた生き様に疑問を持ち、それを打ち破るための修行によって禅病という精神の病から肉体を犯してゆく結果になったときには、自分の存在が亡くなればよいと考えるまでになるのは当然のことでしょう。
 そんな時ですら、白隠は自らの生命力によって、京都白川の奥にある黒谷の白幽仙人を訪ねています。今と違い、風の便りだけで静岡から京都まで病をおして徒歩で旅を続けた精神力は、我々の比ではありません。
 だからこそ、素晴らしい蘇生術「軟酥の法」を会得することが出来たのではないでしょうか。白幽子も、そのような律儀なまでに「信」を持つ人間であるからこそ、奥義を伝授したのだと思います。

 さてその奥義である「軟酥の法」について、お話ししてゆきましょう。その前に、東洋医学の根本的考えについて触れておく必要があります。
 数年前、韓国人気ドラマで「チャングムの誓い」が放映され、東洋医学的見地が大分見直されるようになりましたが、それでも深入りすると「感覚・感性」の部分が多すぎて、とても素人には近づけない世界であり、「生兵法は怪我のもと」であります。そこで、根本だけを押さえますと、人間を目や鼻、胃や肝臓といった部分の集まりと見るのではなく、心身一体として、一本の樹木ではなく、森として総合的に、バランス、調和という見地から見つめるのが東洋医学の根幹です。
 私も、西洋医学では脳外科、眼科、耳鼻咽喉科と首から上だけでも専門分野に分かれているのに、その距離は目と脳はわずか数センチしか離れていないのに違和感を覚えてました。そして、わずか数センチ離れた器官を直すのに病院中かけずり回る理不尽をいらだたしく思っておりました。
 しかし、東洋医学的見地では、これらは一つの調和の中にあり、そのバランスが崩れるところから病は起きると考えています。白幽子も、白隠に対する講義の最初は、人体の在り方を説いています。簡単に言えば、天と地の間に人がいる。つまり、天地の陰陽の気の相交わったところに人間の生命が存在していると言うことです。そして、天も人も地も一つである。そこには、元気……つまり根源的なエネルギーが宇宙を貫き、人の肉体を巡っている。そして、肝・心・脾・肺・腎の五臓はバラバラではなく、経絡によって相通じていると言うのです。

  天人地一体なり


この続きはまた来週……('-^*)/