M&Uスクール

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今週の喝 第159号(2008.5.5〜2008.5.11)〜偉人に学ぶ……白隠禅師(11)〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

偉人に学ぶ……白隠禅師(11)

 先回、私の祖母である芳枝ばあちゃんについて書きましたが、今考えても本当に不思議な人でした。
 私が小学校二年生の時です。私の右目に大きなものもらい(大阪では「めばちこ」と言います)が出来ました。すると茶の間と廊下の間にある障子に、人差し指をペロッと舐めたその指で、ブスッと穴を開けるのです。何をするのかと訝しく思っていると、「たっちゃん(私の幼名)向こう側からこの障子の穴をのぞきなはれ」と言います。そこで素直な私は、その穴をジッと凝視していると、自分は台所から取り出した出刃包丁を蒸気機関車のコンロットのように振り回しながら言うのです。
 「そこにいるのは何者じゃ」
これを浄瑠璃の節回しで真面目にやるのです。そして、私は大きな声で「めばちこじゃ」と答えなければなりません。これも浄瑠璃風にやらなければ、おばあちゃんに叱られます。すると大音声で「エイッ」と障子の向こう側で、出刃包丁を振り下ろして、儀式は終わりです。
 と、ところが、な、なんと明くる日になると、ものもらいが治っているではあ〜りませんか。そんなことが私には2回もあり、近所の人も、ものもらいが出来ると、我が芳枝ばあちゃんに直してもらおうと来るのです。
 このような話を聞くと、「それは偶然」とか「そんなばかな」と言う声が聞こえて来るようですが、私は後年、こんな奇跡めいたことが何故起きたのかを研究しました。それは、集中力に治りたいというイメージが出来、そこに浄瑠璃風の言葉を言うことによって、呼吸が整ったと言えます。そして、この漫画チックな儀式が妙に脳裏に焼き付き、夢にまで見たのを覚えています。
 これは、今で言うサイモントン療法(イメージ療法)と同じ効果があるのではないでしょうか。本当に数え上げたら不思議なっことばかり起こすおばあちゃんでした。

=我が家の旦那寺は、白隠さんのお寺=
 私に不思議な体験をさせてくれた芳枝ばあちゃんは、本当に敬虔な仏教徒で、我が家の旦那寺は、兵庫県西宮市役所の真ん前にある臨済宗海清寺(かいせいじ)僧堂です。私がまだ小さいとき、ここの住職で後に妙心寺派管長、そして全日本仏教会会長を歴任された故春見文勝(かすみぶんしよう)老師の膝に抱かれて、よく可愛がっていただいたのをはっきりと覚えています。この寺の庫裏(くり)にある一室のふすま四枚に、大きな達磨(だるま)大師の墨絵が描かれており、小さい私は、その部屋にどうしても入ることが出来ませんでした。まるで「悪いことをしたら地獄へ落とすぞ」と威嚇しているようでした。
 この海清寺は、1394年(応永元年)開創のお寺ですが、一時廃れていたのを、江戸中期に白隠禅師がこの地を訪れ、布教活動をして人々に深く浸透してゆきました。そして、明治35年、白隠禅師の直系で六代目に当たる南天棒(なんてんぼう)老師が住職を務めてからは、禅のメッカとなりました。南天棒とはもちろんあだ名で、本名は中原とう州(とうじゆう)老師。いつも南天の樹で作った1メートルくらいの竹べら状の棒を携えて修行者たちの坐禅指導に励んだことから「南天棒」と呼ばれるようになりました。

  道い得るも南天棒、
  道い得らざるも南天棒、
    速やかに道へ、
    速やかに道へ。

と唱えながら、修行者たちに慈悲の(?)南天棒を食らわせました。この和尚の薫陶を受けたのが、在家にもかかわらず我が芳枝ばあちゃんだったのです。
 芳枝ばあちゃんは、私が病弱で寝込んでいたときに、いつも枕元で、
「たっちゃんは、これから立派な子になるために生まれて来たさかいに、今は何(なん)も考えんと、頭を空っぽにして、楽しいことを思とったら、しんどいのは治るからな」と頭を撫でながら言ってくれたのが、今も夢に出てきます。
 今考えてみると、これは白隠の「夜船閑話(やせんかんな)」にある一節と合致します。実は、芳枝ばあちゃんは、文盲(もんもう)(教育を受けていないため、字を読んだり書いたり出来ない)だったので、この書を読んだとは思えません。きっと、お寺に通ううちに、知らず知らずのうちに、南天棒さんやその弟子の春見老師から内観法を体得したのではないかと推測します。(今となっては真偽は分かりませんが……)
 私は今も、仕事に行き詰まったときや、体調を崩したときには、おばあちゃんの秘術、強いては白隠さんの内観法の心構えである

   ひとまず頭を空っぽにして、寝てしまえ!

を、守っています。

  無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法


この続きはまた来週……('-^*)/