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今週の喝 第153号(2008.3.24〜2008.3.30)〜偉人に学ぶ……白隠禅師(5)〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

偉人に学ぶ……白隠禅師(5)

 各地を行脚し、心身脱落を体験した白隠は、すっかり悟りを得たとその気になっていたところを、飯山の正受慧端(しようじゆえたん)師によって、その生意気な鼻をポキリとへし折られました。
 正受老人の公案(禅問答)には、全く歯が立ちません。白隠の悟りは頭で得た真理、「学得底」だったのです。
 この後も、白隠は全国行脚と求道の旅を続けます。そして、その間に、言葉にとらわれない境地を会得し、いにしえの高僧たちが到達した境地を次々と踏破して行きます。
 しかし、26歳になった白隠に不思議なことが起こります。なんと激しいノイローゼに取り憑かれるのです。その悩みとは、確かに悟りは得たものの、いざ大衆の中に入った時に、本当にそれが生かされていないのではないか。自分の悟りが、大衆の日常生活の中では、役に立たない無力なものではないかという悩みでした。
 この悩みは、白隠の心と身体を極限の状態まで追いつめ、生命の危機に瀕するまでになるのです。白隠が患った心神衰弱は、俗に「禅病」と呼ばれています。禅の修行に邁進した僧にとっては、古来より避けることの出来ない恐るべき難関の一つでした。    

=恐ろしき禅病=
 「昔の人は、悟るために二十年も三十年もかかると言うが、自分にはそれが信じがたい。自分は二、三年で悟ったというので大変得意になっていた。ところがどうも日常を考えてみると、動静、つまり、坐禅している時と普通の日常生活とが一致していないと白隠自身がその時の模様を記しています。
 白隠が修行に励んでいた時代は、形だけ整えて、ただ坐禅をすれば良いという流行的坐禅もありました。それは「黙照禅」といい、白隠自身その偽善性に鋭い批判の矛先を向けていました。
 従って、白隠自身は、真の悟りに至ったかどうか、その悟りが庶民のためになるかどうかが曖昧な状態で、自分を誤魔化すことはできなかったのです。
 そこで、より一層精魂を傾けて己自身を叱咤激励し、正受老人のところにいた時よりもさらに厳しい修行に挑戦しました。道を求めようと奥歯を噛みしめて、両目をかっと見開いて、寝ることも食べることも全て捨てて、修行に励みました。
 その結果、今度は、心気(心の状態)が逆上し、肺が衰え、両足は冷え切り、激しい耳鳴りが起こって、まるで川のせせらぎの間にいるような錯覚に陥る状態になってしましました。
 さらに、肝臓と胆嚢が衰弱して、行動力は萎えて、恐ろしさに心を奪われ、心身はすっかり疲労困憊状態で、見るものは幻覚ばかりでした。そして、腋の下は常に汗をかき、目にはいつも涙がたまっているような状態でした。
 今の医学からこの状態を推測すると、激しいノイローゼにより全身的不安症状、あるいは、ストレスが極端に突き詰められたうつ状態ではないでしょうか。これを「禅病」というのです。

 禅病に陥ると、それから抜け出そうと必死に修行すればするほど、そのこと自体が原因となって、心と身体がますます調和を失い、逆上して身の破滅を招くと言います。つまり、打つ手が全くないのです。我々凡人は、「それなら、思い切って一切考えることや修行を止めてしまえば良い」と思うでしょうが、悟りに挑戦した修行僧にとっては、自分の心をただ成り行きに任せるだけで、何のために生きているのか分からなくなってしまい、修行の放棄と同じ事になってしまいます。
 この矛盾が、ますますこの病気を重くして行くのです。 現代に生きる我々でも、入試や経営など、焦れば焦るほどノイローゼを引き起こすことは儘あります。そして、錦秋し続け、頑張ればガンバルほど、身体の機能が停止してしまって、心身共に嫌悪と逃避の状態に陥っていくのです。そして、これを精神力で克服しようとすると、その心が己の身体を押さえつけ、一層調和が崩れて行きます。
 その顛末は、過労死、心筋梗塞、脳卒中といった突然死の引き金になるのです。

 このように、白隠は強度のノイローゼであったと同時に、肺結核も併発して、心身共にボロボロになり、死の寸前まで陥ります。彼には、漢方薬や鍼灸などの治療は全く功を奏せず、それどころか、ますます悪化の一途をたどります。
 こんな状態の時、風の便りに「京都山城の国の比叡山の麓、白川の山中に、白幽仙人と呼ばれる人が隠れ住む。齢すでに百八十歳から二百四十歳に達している。ところが、人に会うことが大嫌いで、人里から三、四里も離れたところまでしか姿を現さない。訪ねて行くと、必ず走って逃げてしまう。馬鹿か利口か分からない。しかし、天文・医学などに深く通じているので、礼を尽くして教えを請うなら、病を癒やすのに役立つことを教えてくれるかも知れないというのです。
 そこで白隠は、宝永七年(1710年)二十六歳の正月に密かに最後の力を振り絞って脚絆を巻き、京へ向かって出立します。

        捨てる神あれば 拾う神あり


この続きはまた来週……('-^*)/