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今週の喝 第148号(2008.2.18~2008.2.24)〜偉人に学ぶ……山岡鉄舟(15)〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

偉人に学ぶ……山岡鉄舟(15)

 ♪男なら 男なら 未練残すな 昔の夢に
  もとをただせば 裸じゃないか
    度胸一つで 押してゆけ 男ならやってみな

 私は、自分が行き詰まった時、いつもこの「男なら」という唄を口ずさみ、自分の執着心と戦います。
 先日も、人生の甘いも酸いも噛み分けた経営者の方五人と旅をしました。ほとんどの方が70歳前後です。そして、お酒もまわり、それぞれの思い出話や身の上話に花が咲き、みなさんくるしかった時代のことを話されます。私は、皆さんのそれぞれが歩んでこられた人生から、何か方程式を見つけることが出来ないかと、じっくりと話しに耳を傾けました。
 すると、どなたの話も全て、自分の蒔いた種で苦しみ、それを刈り取るのも自分なら、その勇気や愚かさを反省するのも皆自分自身なのです。
 人は晩年になると、自分が生きてきた意味、自分が死んで行く意味を考えずにはいられなくなります。つまり、「人生とは何だろう。その中でも、苦は私に何をもたらしたのだろう」と、振り返ります。
 そして、己の人生を真剣に生きてきた人間だけが、苦の原因は自分の心が作りだした執着心にあることに気付くのです。

=死の意味を考えよう=
 人間の心に、その成長と共に芽吹く「執着心」……我々は皆、この心の悪魔と戦うために人生の大半を使っています。「男なら」という唄には、端的に男(人)が男(人)らしく生きるための原理原則が謳われています。生まれてきた時には、何もかも無邪気であったあり、身も心も裸でした。それがやがて、智恵の発達と共に、恐ろしい我欲の嵐に翻弄されます。
 寝・食・性・金・名という基本五欲が心を乱したと思うと、生・老・病・死という肉体に付随した苦がまとわりつき、四苦八苦の悶絶が心を打ち砕きます。それを忘れようと、また五欲に埋没する。しかし、その欲望を我々が達成しても適わなくても、我々の心が安まる場所は何処にもありません。これが、が我々人間に与えた煉獄なのです。

 山岡鉄舟も、若い時は我々と同じように、このような心の大葛藤の中にいたのです。彼が生きた幕末から明治維新の頃は、今と違って、もっと身近に「死」を予感したことは間違いありません。だから「剣・禅・書」にあれほど邁進できたのだと思います。
 鉄舟の剣の腕前は吉川英治さんによると宮本武蔵より強かったと言います。(時代が違うのでよく分かりませんが……?!)そして、書は死の前日まで「大蔵経」の写経を、一日も欠かしませんでした。
 明治21年7月17日、鉄舟はいつものように一人で便所へ行き、帰ってくると「今日の痛みは少し違っている」とつぶやきました。胃癌が進み胃穿孔のために急性腹膜炎を併発したのです。この病変に勝海舟も駆けつけ
 「君は俺を残して先にゆくのか、一人で味なことをやるではないか」
と、言ったかと思うと、鉄舟は
 「もはや用事も済んだから、ご免こうむる」
と、別れの言葉を口にしました。そして、19日の朝になり、明けがらすの声を聞くと鉄舟は 腹張りて 苦しき中に 明けがらす と辞世の句を詠みました。「苦しみの極致にあって、その苦しみの根底にまで徹して、その苦しみを脱したことを示す句である」と後に辻雙明老師は評しています。
 そして、7時半になると鉄舟は身体を清めてから、かねてから用意してあった白衣に着替え、9時頃に一度行商に正座し、それから1メートルほど前に進み、宮城(皇居)の方に向かって結跏趺坐を組みました。妻はさすがに耐え難い様子で、鉄舟の背後に回り、右肩に軽く手と顔を当てて泣いています。これに気付いた鉄舟は「いつまでぐずぐずしていますか」と言い放ちました。今度は長男直記が進み出て、「後事はお気に召されず大往生をお願いいたします」と言うと、鉄舟は「うん、よく申した」と軽くうなずき、右手に持った団扇で左の手のひらに字を書いていましたが、急に呼吸が切迫し、午前9時15分に息を引き取りました。享年53歳でした。

 鉄舟は、死ぬまで自分の心で自分の身体をしっかりと支えておりました。
武士道とは、このように身体の執着(欲や苦)に惑わされることなく、己を律する心を養うことにあります。
 我々誰もが必ずいつかは体験する「死」は、もしかしたら、我々の精神がどこまで磨かれたかという登竜門(テスト)なのかもしれません。
 執着心を捨てるとは、自分の精神を一点に集中し、摂理通りに身体が反応するまで潜在意識に叩き込み、そして、自然と一体化することです。
 この境地に至った時、人は全ての恐怖心から解き放たれ、周りの人々に感銘を与え、生きるという意味を「死」から学ぶのです。
 死の恐怖は精一杯生きた人からは消え失せ、精一杯生きた人は、正しく、精神が次のステップへ昇華するために「死」は必要なものとして受け入れられるのです。

 武士道とは死ぬことと見つけたり

この境地に至るまで、我々は今自分の眼前にあることをやり続け、多くの人々の模範となるような生き方をすることが、人間の人生の最も重要な意味であると私は思います。


          この項はこれでお終い。
          来週からは新シリーズをお送りします……('-^*)/