M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第145号(2008.1.28~2008.2.3)〜偉人に学ぶ……山岡鉄舟(12)〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

偉人に学ぶ……山岡鉄舟(12)

 この原稿を書いているのは、平成20年1月27日の夜です。ついさっき京都宇治にある心華寺(しんげじ)M&Uスクーの今年初めての授業が終わりました。最後の懇親会で、我が理事長であり心華寺塔頭(たつちゆう)の斯波最誠(しばさいじよう)和尚から、受講生のみんなに素晴らしいご法話を頂きました。そのなかで、
 「我々が生まれ育った環境や生活レベルは、確かに我々
  人間に多大な影響を与えるが、決定することはない」
と、とても意味深い事を我々に教えてくださいました。つまり、我々の運命は、周りに大きく影響されるけれども、それに気付く事によって、たとえ悪い環境にいても、そこから脱出することが可能である。要約すれば、
 「運命は己の意志で変えられる」
と言う事です。その気付きはどの様な時にやってくるのかという質問に対して、明快に
 「楽しくやれ!」
と一喝されました。
 我々は、自分の置かれた境遇に不平不満を持ち、それを周りの所為にしている限り、絶対にそこからの脱出法は見つかりません。むしろ、気楽にリラックスして自分の置かれた境遇を享受し、その中にも歓びを見いだすエネルギーがある人にだけ、天は<気付き・悟り>という人間の心を「明鏡止水」に導く手だてを与えて下さるというのです。

=「悟り」は、歓びと共にやってくる=
 晩年の山岡鉄舟は、大悟したと言います。剣の極意を極め、その中に人間本来の在り方を見いだし、それを弟子や知人に語る事によって、大勢の人々を楽しませ、安堵の中に導きました。
 若い時の鉄舟は、剣の師匠・浅利又七郎に、いくら撃剣で挑んでも勝つ事が出来ませんでした。その時の鉄舟の心は師匠に対して「勝とう、勝とう」としていたのです。勝とうと思って勝てるのなら、何でも思えばよいわけで、そうは問屋が卸しません。必死になればなるほど、やられるのです。そして、負けた口惜しさに、形相がゆがみ、ますます心乱れる自分を発見します。気が散り、えも知れない恐怖と焦りが心を襲うのです。為す術は全て考え、幾度別の方法を考えても無駄です。地の底まで落ちた境地になった鉄舟は、自分の事を深く内観するや、今まで出逢った多くの人達との関わり合いや会話が走馬燈のように脳裏を駆けめぐり、その中でも弟子の平沼専蔵(鉄舟のアドバイスで炭屋から身を起こし、大商人にたった人物)が言った
「大商いをしようと思ったら、勝敗や損得にビクビクしては駄目です。儲けようと思えば胸がドキドキするし、損をしてはと思うと身が縮まってくる。そんな事ではとても大事業は出来ません。
 だから、自分は先ず心の明らかな時に、前後の事を十分に考えて決断しておき、いったん仕事に手をつけたら最後、決して是非に執着せず、ズンズンやる事にしています。それで損得にかかわらず、本当の大商人になれたのです」
という言葉に触発され、明治13年3月29日の夜、呼吸に全身全霊をあげ、心を無にしている内に、ついに天地一体の境地に入りました。鉄舟は一瞬の出来事のように思ったのに、気がつけばすでに朝になっていました。

 それからの鉄舟の気迫は、浅利又七郎をも寄せ付けないすさまじいものであったと浅利自身が回想しています。しかし、以前にも増して、鉄舟の人となりは柔和で朗らかになり、多くの客人が訪れては帰る事を忘れるほど、楽しく語ったと言います。正しく、斯波和尚の「楽しくやれ!」の言葉通りです。
 鉄舟の剣をわずかに狂わせていたものは「迷い」でした。それを振り払う事によって大悟に至ったのです。
 ここで注目すべき事……それは、「悟りは歓びの中にある」と言うことです。お釈迦様も
「私たちの心はあくまでも清らかで、永遠に続くものである。妄想、煩悩を少なくすれば、ある機縁でその心に気付くことがあり、これが悟りである」
とおっしゃられています。この心に自分が気付いた時、歓びは溢れるのだそうです。楽しいと思う心こそ能力アップの原点であるとも言えるのです。


続きはまた来週……!