M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第143号(2008.1.14~2008.1.20)〜偉人に学ぶ……山岡鉄舟(10)〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

偉人に学ぶ……山岡鉄舟(10)

 清水の次郎長は晩年に、広瀬武夫少佐(戦死して中佐に進級)と親しくなりました。広瀬少佐は♪轟く筒音、飛びくる弾丸、荒波洗うデッキの上に……と小学唱歌にも歌われ、日露戦争の旅順港閉塞作戦で武勇を示し、日本の軍神第一号とあがめられた人物です。
 そんな広瀬は、次郎長の男ぶりに惚れ込み、色々な事を尋ねています。
 「親分、人と切り結ぶ時のコツはあるものですか」
 「斬り合いは命がけだ。いきり立ってはならねぇ。刀をこう構えたら、呼吸を整えて静かに待つ。と、こらえきれなくなって向こうから仕掛けてくれば、それを躱(かわ)してサッと刀を打つ。これでお終いだ」
次郎長は、喧嘩で刀を使い、かなり大きな怪我をした事があります。その経験から、先ず相手を睨み付けて、脅かす事で相手を怯(ひる)ませるという事を編み出しました。そして、彼は、腕に自信があるからこそ、上には上がある事を自覚していました。
 これも全て山岡鉄舟が指導した事でした。

=壁を乗り越える事こそ人生なり=
 次郎長もこのような勝負事の極意を体得するまでには、恐ろしい修羅場を幾度となく通り越しました。それは、あたかも自分の限界であるかのようにその人間の人生にのし掛かって来ます。
 才能・体力・精神……その全てにおいて、自分自身が押しつぶされそうになる事は万民に変わりない試練なのです。そんな時、私たちは、壁の前で立ち止まり、途方に暮れてしまいます。
「私はどうすればよいのだろうか。これからどう進めばよいのか」
と立ちすくむ事も儘あります。
 人の限界とは、どの様なものなのでしょうか。山岡鉄舟は、この問に対して、心の問題として取り組む事で突破したのです。
 壁を「壁」として捉えているのは、私たち自身の心です。些細な事を大きなことのように感じるのも、つまらない言葉で自分の心が波立つのも全て、自分の感じ方と考え方です。
 お金がない事で不幸を感じる人間は、<お金がない=不幸>という固定観念がその人間の心を支配しているからです。例えば、男性にとってルイビトンのバッグをもっていない事など、どうでも良い事ですが、それに趣をもつ女性にとっては気が狂うほどの苦しみです。仏教では「求不得苦」と言い、原初的八苦の一つです。
 従って、先ずは自分の行く先=目標をハッキリさせる事が大切です。自分のなりたい姿、憧れの人物、尊敬すべき事象など、自分の価値観を明快にする必要があります。この価値観によって、人間の粘りや根性は育まれるのです。しかし、独りでそれに挑戦しても、人間の最も苦手な所行である「継続」が伴わないことも良くある事です。そんな時「喝」を入れてくれるのが<師匠>です。
 師匠をもつという事は、自分を制約する重石(おもし)を足に付けるように、とてもうざったいものでもあります。しかしそこに、師匠の値打ちがあるのです。人にとって大変重要な自制心は、尊敬・憧憬に値する師匠が、自分の心の弛みに対しその技や術、また行為・行動によって鉄槌を下してくれる事によって育まれます。
 鉄舟にも、禅剣書を問わず素晴らしい師との巡り会いがあり、また、次郎長も鉄舟という素晴らしい師に出逢い、広瀬武夫も次郎長を慕い師と仰ぎました。新渡戸稲造の武士道にも「父母は天地の如く、師君は日月の如し」とあるように、良き師を持つかどうかが人生の要と言えるでしょう。また、良き師に出逢うかどうかは、その人が良き師を欲するかどうかは、その人間が大いなる夢を見るかどうかに掛かっているとも言えます。
 従って、誰の人生にも必ずやってくる「壁」を乗り越えるかどうかは、全て己の心構えにあると言えるのです。また、壁が来る事によってその人間の成長が促進され、精神が磨かれて行く事も確かな事なのです。
 勇猛果敢に壁に挑戦し、己の心身を修練し、この世での自分の使命をしっかりと見つけた人間だけが大きな目覚めと悟りを得るのです。


続きはまた来週……!