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今週の喝 第142号(2008.1.7~2008.1.13)〜偉人に学ぶ……山岡鉄舟(9)〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

偉人に学ぶ……山岡鉄舟(9)

 清水の次郎長は、身長180cm、体重83kgの当時としては大男です。そして、彼は憧れの鉄舟に続くべく熱心に剣術の稽古に精を出しました。
 その結果、腕前はすぐに上がり、特に面に打ち下ろす剣の迫力は抜群で、得意技は突きでした。この突きは、武士の上段者をも倒すほどの威力だったそうです。
 そんな次郎長は、出入り喧嘩での斬り合いを数限りなくした事でしょう。しかし、山岡鉄舟の剣には遠く及びません。そんな次郎長に鉄舟は「剣の正しい道」をしっかりと教え、それが次郎長の新たな人生を歩ませるきっかけにもなりました。

 そんなある日、次郎長は鉄舟に変な事を言い出しました。
「先生、撃剣なんて役に立たねぇもんですね」
「どうして役に立たぬかな」
「そりゃ、わしの経験ですがね、わっしが刀をもって相手に向かう時には良く怪我をしたもんですが、刀を抜かずに“この野郎”と睨み付けると、たいていの奴はにげてしまいますよ」
 これは、次郎長が喧嘩剣法だという事を示しています。この時、鉄舟は次郎長に向かってこう言いました。
「そう言うこともあろう。それではそこにある刀で、どこからでも俺に斬りかかってこい。もし俺にかすり傷一つでも負わせたらおまえが勝った事にしてやる」
 負けん気の強い次郎長は、刀を振りかぶって端然として座っている鉄舟をにらんでいましたが、やがて観念してこう言います。
「これはいけねぇ。どうしてもお前さんにはかかれねぇ。このすくんでしまう気持ちはどうしてだね。教えておくんなさい」
「それはお前が素手で、“この野郎”と相手をすくませるのと同じことだ」
「それでは、わしが睨むとなぜ相手がすくむんだね」
「それはお前の目から光が出るからだ」
「撃剣の稽古をすりゃ、光が余計に出るようになるかね」
「なるとも、目から光が出るようにならなけりゃ、偉くはならねぇ」     

=オーラが出るまで集中せよ=
 心構えと技の鍛錬を自分の日常とした人間からは、不思議な威光(オーラ)が発せられます。そのオーラを感じる人や見る事が出来る人もいます。そのような人は、やはりオーラが湧き出るまで一つの事をやりきった人間です。類が友を呼ぶように、オーラを発する事の出来る人間だけが、オーラを感ずる事が出来るのです。
 大自然界は、全て実戦の世界です。どんな生き物も食うか食われるかの熾烈な戦いに晒されているのです。従って、ゴキブリであろううと、ネズミであろうと、みな相手のオーラを感じ、それに反応します。そこに人間だけが頭脳を発達させ、《安堵》を生活に取り入れました。これは人間にとって、素晴らしい叡智と言えますが、その快楽がやがて呪縛となり、気の抜けた怠け者が出来生まれてきたのです。そして人間は二種類に分かれました。それは、自分の生き方に意味を見いだし精を出す者と、眼前の楽を享受し楽を求める者です。
 自分の生き方に意味を見いだす人間はほんの一握りしかいません。しかし、彼らは常に次郎長のように誰かを尊敬し、また憧れをもっています。そして、尊敬と憧憬の心を傾けた相手を目標として、その姿を自分の心に映し出す時、集中力が生まれるのです。この集中力をものにした人間だけが、オーラを発するのです。つまり、
何事も上達の第一歩は、尊敬の心と憧憬の心をもち、上には上がいると知ることです。

 鉄舟と次郎長の会話にもあるように、オーラそのものが目の光となって「気」を放ちます。もう一つ、鉄舟にまつわる逸話があるので紹介します。
 鉄舟が小石川に住んでいた頃、あばら屋同然の家は昼間からネズミが走っていました。夜は一層わがもの顔で暴れます。しかし、このような時に鉄舟が坐禅をすると、ネズミがひっそりとして出て来なくなってしまうのです。終いには、鉄舟が坐禅をしていてぐっと睨むと、棟のネズミがばったりと落ちるようになったと言います。これが<気のパワー>なのです。
 今の日本人に欠けてしまったこの「気迫」を取り戻さなければ、いつしか、日本は棟のネズミ同様、他国の睨みにバタンキューとなるやも知れません。


続きはまた来週……!