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今週の喝 第135号(2007.11.19~2007.11.25)〜偉人に学ぶ……山岡鉄舟(2)〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

偉人に学ぶ……山岡鉄舟(2)

 次郎長山岡鉄舟との出逢いについては色々と言い伝えがあるようですが、幕府方の軍艦咸臨丸の遭難事故で清水港に浮かんだ榎本武揚(えのもとたけあき)の部下の死骸を、次郎長がねんごろに弔ったのを、当時、静岡県の県令だった鉄舟が、なぜ賊軍の死体処理をしたかその真意を問いただした時が契機ではないかと言われています。
 「仏さんに官軍も賊軍もありません」の一言に、鉄舟は次郎長に惚れ込み、また次郎長も鉄舟の器の大きさを直感で感じ取りました。
 相通ずるものは、その根底に流れる理念です。偉人・聖人といわれる人たちは、共通の理念でリンクされています。それは、人間の最大の幸福はその心が「明鏡止水」であると言うことです。つまり、何があっても心が波立たない心を持つことです。
 そのために、鉄舟は剣・禅・書にその奥義を求め、次郎長始め弟子達に、外界に邪魔されない真理の世界を感じ取るように指導しました。そして、弟子達も鉄舟の生き方に共鳴し、彼を真似るようになりました。そこにあるものは、送る側の「誠実さ・格好良さ」から出る自然なオーラと、受ける側の「受け入れる心・憧憬や尊敬の念」です。両者が互いにこのように感覚的一致を見た時にのみ生まれるのが<実践・努力>です。
 実行動無しには何も生まれません。何事においても、実行動でやり抜いた時、境地は何物にも動じない「悟り」がおとずれるのです。

=現代人の大きな間違い=
 現代人は大人になるまでに、本当に長い間教育を受けます。しかし、これらの教育は頭脳を鍛えるのには素晴らしいカリキュラムを提供していますが、それらの知識を応用し、実生活に役立てる智恵を育んでいるかどうかははなはだ疑問です。現に、テストでは知識を答案用紙に書き、それが正解ならば「優秀」と認知してもらえます。また応用問題であっても、やはりその解答を“書く”ことで成績は上がります。しかし、実生活に於ける経営や戦争では、突発的に何が起こるか分かりません。そこで、いかにそれを実際に体現できるかどうかが、重要になってきます。新渡戸稲造博士「武士道」でも、机上論を戦わせる論理派は「読書の虫」と軽蔑の言葉で忌み嫌ったとあります。
 現代人は、脳を鍛えましたが感性は二の次にしてしまった結果、「記憶力」は増大しても、実際の社会に役立つ「判断力」にはいささか蔭りが見られ、実社会での最大の力である「認知→判断→操作(行動)」という実体的動作を、失ってしまったのです。
 鉄舟を鍛えた「剣・禅・書」は全て、この実体的行動の基本となる<判断・冷静・審美>を育む最大公約数でした。素速い判断が冷静な心からなされ、その結果がみんなに共感や美しさを感じさせるのです。誠に理に適った実践主義を育む要素であると私は思います。これに、ヤクザである次郎長が喧嘩やでいりで覚えた「直感力」がフィットし、潜在的に持っていた「本物志向……偽物を見抜く洞察力」が目を覚ましたのです。次郎長自身も理に適わない事に正義感をもってぶつかって行ったと自負があり、自らを侠客(きようかく)(義のために働く者達)と名乗っておりました。この次郎長の目には鉄舟の行動や生き方の全てが“模範”として写っており、只々実際に真似るだけで歴史に名を残す人物になったのです。
 人は、尊敬に値する人物をあこがれ、そして真似をしている内に、やがてチャネリング現象(同調)が起こり、人格・想像力などあらゆる能力が自然に身についてくるのです。そしてやがて、それは、この世に於ける霊魂(精神)昇華(仏教の概念にある、この世が霊魂の錬磨の場所であるという概念)を引き起こし、やがて、明鏡止水の境地を得て“大悟”してゆくのです。
 このことは宗教的な感覚と受け取られていましたが、現代科学はこの霊魂昇華のメカニズムを「自然淘汰・突然変異・ミラー細胞」などから、その可能性を暗示しています。(これら三つについては後日、詳しくお話しします)
 「どの様な人間と出会うかによって人生が決まる」という、出逢いの法則は、我々この世に生まれる人間に平等に与えられたグッドチャンスなのです。この出逢いは言わば「棚からぼた餅」のようなものです。しかし、注意力や行動力が散漫な人間は、こんな素晴らしいチャンスの時も、棚の下に居ない事が多いのです。本物の人間とは、霊魂昇華をこの世で遂げる事にきづいた人のことを言うのだと私は考えます。
 本物であるがゆえに、本物が見えるのです。従って、本物は他人を侮(あなど)ったり軽々に扱ったりしません。そこには常に、慎重で丁寧な心がけが底辺にありますので、どんな人間にも「礼儀」をわきまえています。そのような人は、あなたが本物であればすぐに見分けがつきます。
 そして、人に対して礼を尽くし義をわきまえることは、最終的に全て自分に返ってくることに気付くのです。


続きはまた来週……!