M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第116号(2007.7.9~2007.7.15)〜成功への準備はスランプ克服から(12)!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

成功への準備はスランプ克服から(13)!

 最近私が驚いたこと!
それは営業など人と人の付き合いから始まるビジネスに携わっている大半の方が、何の予備練習も無しに、ぶっつけ本番で仕事をしているのです。
 例えば、保険の外交員の方々を例にとっても、毎日毎日、クライアントとの受け答えをシミュレーションし、それを口に出して音読訓練をしている人を、ほとんど見かけません。
 それこそ経験と勘を頼りに、「口から出任せ、出放題」と言ってもよいような応答で済ませています。もちろんそこまで鍛え抜いた方々もいることは知っていますが、そのような名人級の人はほんの一握りです。
 それでいて「最近仕事が上手く行かない。不景気だ」と嘆いている御仁が大勢いるのには困ったことです。

 我々音楽に携わる者や、スポーツ選手は、毎日毎日、体調を整え、基礎練習をしっかりとやってから、自分本来の仕事に入ります。
 かつて、私は中国武漢曲技団の一日を取材したことがありますが、彼らは朝起きて朝食までの間に、身支度を終えた者から、練習場で約1時間の逆立ちをするのが日課になっているのに驚きました。団長に尋ねると、手を足のように、足を手のように自由に使えるようにするため、毎日一時間の逆立ちをするのだそうです。当の本人達は逆立ちをしながら、ファッションのことや、次の休日の予定を話し合っているのです。つまり軽業師にとって、逆立ちは、基礎練習中の基礎であるわけです。

                              

=基礎を無意識に叩き込め!=
 我々人間は元来「楽と得を求める」無精たれで横着な性質を持っていますので、何でも早くやることを見つけようと「合理化」の名の下に、面倒なことを徹底して避けて通ろうと努力(?)します。
 ところで、この「喝」を読んでいる方のほとんどは、すでに自転車に乗ることは可能だと思います。体力的に衰えていなければ、何十年と乗っていなくても、本の1〜2分で元の状態に復帰させる事が出来ます。自転車はあまりにも身近にあるため疑問も何も持たない乗り物ですが、よく見るとあれほど不安定な乗り物はありません。そして、それ以上に不思議なことは、あの難しい自転車の「乗り方」の本を、私は未だかつて見たことがありません。
(インターネットには載っていますが、それは子供に教えるためのパパさん用のサイトばかりです)

 その訳は至極簡単でした。

字が読めない内に、自転車に乗りたいと思い、幼い子供であるにも関わらず勇猛果敢に(怪我の痛さも顧みず)挑戦した結果、自分のサイコ・サイバネティクス(潜在意識の働きの一つで、目的指向型自動機械的制御装置……長い名前です)が働き、ある時突然コツを掴んで乗ることが出来るようになりました。

 なぜこんなにも勇敢に挑戦するのかというと、「乗りたくてたまらない」からなのです。つまり極度の能動性が、子供の柔軟な頭脳や身体の吸収システムと相まって、素晴らしいライダーに育てていったのです。
 古来より「好きこそものの上手なれ」と言うことわざがあるように、極度の能動性は、本来物ぐさである人間の性質を、未知の海への憧れをもったフェニキア人のように、平然と苦に立ち向かわせるのです。よって、面白いように体は覚え、そして筋肉が自動的に動く(コツを掴む)ようになるのです。
 これを「訓練」と言います。訓という字の意味は、「染み込ませる」という意味があるように、頭脳ではなくて身体が自動的に動くようになるまで染み込ませ、練り上げて出来るようにしてゆくのです。そうすると、やがて、しっかりとモノにする日がやってきます。自分が極度の願望を持って成就した技術ですので、楽しくて仕方ありません。とくに、子供はやっと乗れるようになった自転車を離しません。それこそ夢に見るまで(潜在意識・無意識に叩き込むまで)乗りまくります。やがて、(危険ですが)手放し運転や曲乗りなどをやりたくなり、ますます上達してゆきます。彼から自転車をとると茫然自失の状態となるのではと思わせるほどになります(今の若者は携帯電話ですね)。この状態を薫習(=その人の内側から、薫り出ずるように習得する)といいます。

 さて、皆さんは幼少期の自転車訓練のように、極度の願望を持って、しっかりと目指す形をイメージしてビジネスに立ち向かっていますか。
 自転車訓練が運動神経の中枢(基礎)である平衡感覚を鍛えるように、あなたは自分のビジネスの基礎が何か、掌握しているでしょうか。武漢曲技団の逆立ちのように、毎日日課として、基礎を反復し、磨くことによって、訓練がやがて薫習に変わり、ますます腕を上げてゆくようになるのです。この両方の状態を体験しないと人は一人前ではありません。訓練の「練」と薫習の「習」、二つの文字を合わせて「練習」となるのです。
 このようになるには、生半可な覚悟ではダメですね。
仕事とはこういったモノです。さあ、皆さん、あなたの人生を支えるビジネスに極度の能動性をもってぶつかり、そして毎日毎日、基礎を反復訓練してゆきましょう。 

 焦らずゆっくりと(太極拳の練習のように)自分の身体に染み込ませてゆきましょう。


続きはまた来週……!