M&Uスクール

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今週の喝 第56号(2006.5.14~5.20)成功へ道しるべ!その心構えは如何に 〜その12〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

成功へ道しるべ!その心構えは如何に 〜その12〜

私の子供の頃の話の続きです。
なぜ、私はフルート吹きなのか。……その答えはフルートが大好きだったから?……いいえ全く違います。
にもかかわらず、フルートの演奏家になってしまった。このへんてこな人生は、希有なタイミングと出逢い(節目)によって織りなされたものです。私の不思議な人生の軌跡ですが、しばらくお聞き下さい。

=天が決める節目とタイミング(1)出逢い=
私は西宮市今津(甲子園の西側の地区)にある畳屋の長男として昭和27年、この世に生を受けました。
父(郁郎)は畳を縫うことが出来ない(職人ではない)にもかかわらず、先の空襲で亡くなった私の祖父(久吉)の家業を継ぎ、自分の父親ほどの年格好の職人を使って経営しておりました。
だから、経営に専念できたのかも知れません。当時、畳屋としては異色の存在で、30名ちかく従業員がいてこの業種としては大々的に商いをしておりました。
自分も志願兵としてお国のために身を捧げ、父を空襲でなくし、母と共に苦労に苦労を重ねて一つの企業を立ち上げた我が父は、趣味などもつ時間もなく、ただひたすら生活のため、従業員のために前進した昔気質な人間でした。
ですから、私が誕生したときには跡取りが出来たと大層喜んだようです。そんな私は、子供の頃より音の出るものは何でも好きで(風雪流れ旅の歌詞みたいですね)、幼稚園の時もお遊戯会で「七つの子」を独唱した写真が今も残っています。

そんな私が小学5年生の時、となりの中学校の体育館から、ドヴォルザーク作曲交響曲第9番「新世界より」の第4楽章の冒頭の第一テーマが壮麗なトランペットとトロンボーンのユニゾン(斉奏)で聞こえてきて、頭が完全に痺れてしまいました。孔子も(雅楽に使う楽器)100人の演奏を聞いて、10日ほど何も手に着かずボーッとしていたそうです。それと同じ状況です。
そして、翌年のお年玉をつぎ込んで当時1,500円(アイスキャンデーが10円の時代)もした、フリッツ・ライナー指揮、シカゴ交響楽団の「新世界」のレコードを買いました。
そこで一悶着起きました。父が無駄遣いをしたと烈火の如く正月早々怒りだしたのでした。私は悔しさの余り、そのレコードの溝が磨り減るまで聞いたのが今は懐かしい思い出です。

ところで、当時の音楽の成績は酷いときには5点評価の「2〜4」を乱高下していたのです。当時の音楽担当の田中信夫先生に、後年どこが悪いのかと聞きますと、「君は縦笛が下手くそだった」と言う答え。それが横笛に変わるとプロになれたのですから人生は良く分かりませんね。
そうして、いよいよ中学校に進学しますが、その入学式の前夜、父に呼ばれ「お前が中学に入学するのに一つ行っておくことがある。それはブラバンにだけは絶対に入るな。あそこは朝から晩まで練習ばかりして、勉強がでけへん。それより、皇太子はんは美知子はんとテニスで知り合いはった。そやからテニス部にせい」と訳の分からない論理で、テニスのラケットをスポーツ店から買ってきて私に渡すのです。

そして入学式当日。
この日は新入生を歓迎するために、日本一の吹奏楽部がその年の選抜高校野球で演奏されるマーチ「今日は赤ちゃん」を高らかに演奏する中、式場に入場です。
10メートルと離れていないところでの、力強い吹奏楽の生演奏。ふたたび私の頭は、痺れ切りました。校長先生の祝辞など全く聞こえません。担任の先生の名前すら聞き逃すほどでした。
でも、私は両親の言うことをよく聞く「よい子」でしたので、入学式の3日後、テニス部に入部しようと放課後の校舎を一人部室へ向かっておりました。
その時です。廊下の前から鉢巻きにサングラス、トレパン姿に雪駄履きの得津武史先生が右手にをもって、こちらに向かって来るではあ〜りませんか。

さて、このあとどうなるのでしょうか。続きは来週のお楽しみ。

 

乞うご期待!