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今週の喝 第989号(2024.05.06~05.12)〜すぐにアレンジしてしまう悪い癖!〜

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成功への道しるべ!この世は全て催眠だ730

すぐにアレンジしてしまう悪い癖!

 さてさて、奈良県桜井市の池田栄三郎市長の素晴らしい駄洒落(交代してんか=“皇太子殿下”)を聞いた私は、そこで「終わり」にしておけばよいのですが、編曲者の癖が出てしまい、その次を脚色してしまいました。不敬罪を承知で書きます。以下は続きです。
 東京に帰られた当時の皇太子殿下(明仁さま)は、間一髪の状況を天皇陛下(裕仁さま)に報告されました。それをニコニコ笑いながら聞いておられた両陛下が、次に奈良を訪問された時、今度は香淳(こうじゅん)皇后さまが同じようになり、皇太子殿下より聞いていた桜井市役所の市長室に立ち寄られ、用をたされたのですが、一向に個室から出てこられません。
 やがて天皇も同じ状態になられ、余り長い時間こもっておられるので、トイレの前まで行って、一言小声で
「もう、エエか?(陛下)」
と言われたというギャグを付け足しました。(この部分は、完全に私のフィクションです)
 このワンセットのギャグを私のところによく遊びに来る吉本興業所属の有名漫才師さんに伝えたところ、早速、舞台で披露した途端、舞台監督から「不謹慎だ!」と大目玉を喰らったそうです。(ということでこの芸人さんの名前は伏せておきますが、ヒントは、昭和天皇の形態模写を交えてステージを熟(こな)していました)

 ここまで皇室の皆さんのことを書きましたので、もう一つ私が実際に見聞したことをお伝えしましょう。
 以前にも書きましたが、あの方達のスケジュールは秒単位で組まれています。そんな中で移動されるのですから、周囲の者はたまったものではありません。私も実際のスケジュール表を見せて貰ったことがあるのですが、何㎞の速度でどの踏切を通るかまで、事細かに書いてあり、警備に当たる警察官もそのスケジュールはしっかりと記憶しているそうです。

 

★★突然のスケジュール変更!★★
 ですから、桜井市役所のようなハプニングがあると、周囲の人達(特に警察)は冷や汗ものなのです。以前にも書きましたが、大阪フィルハーモニー交響楽団(得津武史先生の師匠、朝比奈隆先生創設)の初代マネージャーを務めていた野口幸助さんが執筆された「そなた・こなた・へんろちょう」にも出てくるのですが(この本は、関西の著名音楽家の裏話を集めたとても面白いもので、ここにも掲載されているのですが)、当時の明仁皇太子殿下が甲子園の高校野球夏の大会にお越しになった時の話しです。
 入場式が終わった後、我が母校・今津中学校吹奏楽部の日本一のサウンドでお迎えすることになっておりました。(同時に、西宮市長と昼食を召しあがる予定)
 当時の西宮市長は、灘の生一本・白鹿酒造の社長辰馬達雄さんで、食事中に話が進み、昼食前に行われたコンサートに話題が移り、また辰馬社長は丁寧に今中名物の“天ぷら棒”を用意して、
 「顧問の得津先生は、生徒の指導をこの天ぷらを揚げる時に用いる箸で指導し、連続日本一を獲得しております」
と、丁寧に解説されたのです。そして食事が終わり、退席される時に、美智子妃殿下(この方も音楽家)が、
 「そんなにファイト溢れる先生なら、是非お目に掛かりたいですわ」(もちろんそんな予定は組まれておりません)
とおっしゃり、コンサート会場(西宮市民会館:アミティーホール)の前で車を止められ待っておられました。その時、得津先生はコンサートが終わって着ていた衣装(タキシードのみならず靴や靴下まで全て)を脱ぎ捨て頭にはトレードマークのタオルの鉢巻き姿で、
 「あぁ緊張した……云々!」(内容はえげつなすぎて書けません!)
と控え室で雑談をしておりました。得津先生の他には、私ともう一人卒業生、そして、皆さまもよくご存じの伊勢昌史先生と風紀指導の笹部先生……そして、読売新聞の鳥居記者。そこに市役所の南野助役が息を切らせて飛び込んでこられ、
 「と、と、得津先生、外で皇太子殿下がアンタに逢いたいと言って待ってはる!」
と裸同然の得津先生に言ってきたのです。
 「南野はん、ワシャそんな予定聞いてヘンで……」
 「今、決まったンや。早よ、来てェな」
その時、得津先生は、
 「梅忠(うめちゅう)、丹波(たんば)(丹波篠山出身の伊勢先生のあだ名)、早よ服着せ……!」
と、言って、先生は大の字に突っ立っているだけです。
 「早よ、早よ……!」
と急(せ)かすばかりです。控え室には男ばかりで人に服を着せたことのない者ばかりです。皇太子殿下ご夫妻を車の中で10分近く待たせ、何とか形は整いましたが、
 「梅忠、さぁ背中どつけ!」(緊張を鎮めるため)
と言ったとき、眼鏡がサングラスだったことに気付いた笹部先生が、廊下を滑りながら眼鏡を変えさせ、私が思いっきり背中を叩くと、ステージに立つかのように颯爽と皇太子ご夫妻の車に進まれました。同時に、伊勢先生が両手に左右の靴下をぶら下げて、
 「忘れてもた!」
と呆然と立ち尽くして、得津先生の後ろ姿を見送っていました。
 その姿を、読売新聞の鳥居記者は、見事に最敬礼したところをパチリ!……この写真は次の朝刊の阪神版のトップを飾ったので有りました。きっと誰も気付いていなかったと思いますが、野口先生の本にもこの写真が掲載されており、日本人多しといえども、皇太子殿下の前に靴下を履かずにお出ましになったのは、我が師・得津武史先生だけだと思います。

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/