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今週の喝 第975号(2024.01.29~02.04)〜私たちは死なない…!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
成功への道しるべ!この世は全て催眠だ717

〜私たちは死なない…!〜

 私も齢72になりまして、どんな行動を取るときも「ドッコイショ」の掛け声ナシでは動きにくくなりました。本当に海援隊の武田鉄矢とあべ静江主演の映画のタイトル「思えば遠くへ来たもんだ」を人ごとのように思っていた自分が、その真っ只中に身を置いている……「まさか?」と錯覚するような感覚です。宇宙の広がり同様、遠いという感覚は、距離的広がりと、時間的拡がりがあるように思います。
 太陽までの距離を示すのも距離的には1億4960万㎞という表現と約8分(19秒)と2種類あります。光の速さは毎秒29万9792.458㎞でこの光が1年かかって辿り着く距離を1光年と言います。いやはや気の長くなるような距離ですね。
 ですから私が生を受けた72年前にある星から放出されたその光は、本当に遠くへ届いているのですが、宇宙はその広がりの単位が違う。現在、宇宙の果ては138億光年彼方と言われていますが、この距離は光の速さを元に算出されたものですので、実際には無限なのです。138億光年という数字は、天文学者ハッブルが発見した法則によると、遠くにある天体ほど我々の太陽から遠ざかっていることを光の性質から発見しました。従って、この遠ざかる速度が光の速さを超えると測定不能!ということになります。それ以上は天体の遠離る速度の方が光速を上回るので「測定不能!」になるのです。気の遠くなる話しですね。
 しかし、この広大な宇宙も、私たちが持っている「創造力」はシッカリとその果てまで瞬時に連れていってくれます。デンマークの数学者オーレ・レーマーが求めたのですが、私たちの創造力はそれらを遙かに超えて、宇宙の果てまでを想定してゆきます。
 私の信条の一つに、我々人間も大宇宙と相似性を持っていると思うのです。つまり、ここ10数年の間に私をここまで育てて下さった多くの方々が亡くなられましたが、最近、私の夢に多々出てこられます。何を言いたいかというと、宇宙に果てがないとするならば、大宇宙の相似性から言って、「私たち人間は死なない」と言うことに繋がるようです。

 

★★へこたれない挑戦心を創造力の中で培え!★★
 先週も人間の苦は、身体と心の双方に由来するという話を書きました。確かに大宇宙を眺めても、星は誕生したり消滅したりしますが、それらを包含している大宇宙の質量は「エネルギー不滅の法則」から想定しても一定不変です。“物”は我々の身体も含めて経年劣化します。人間で言うと“老い”です。しかし、“心”にはそれがないように思います。その論拠は、私の夢に現れる先生方は、「私がお世話になった時代から全く老いていなくて、若々しいままです」……従って、たわいない憶測のように感じられるかも知れませんが、私が困ったときには寝る前にそのような先哲の方々に回答を求めてから睡眠に入るようにしています。
 もし、心に“老い”を感じているとするならば、それは自分自身に負けているといっても間違いないと思います。つまり、人生(生きる)に疲れているとするならば、それは「自分に負けている」のだと私は考えます。単純に言えば人生は「そのもたらされる“苦”に勝つか負けるか」だと私は思います。
 話は変わりますが、音楽の解釈でどうも分からないところがあると、我が師・宇宿允人先生ならばどういう演奏をされるだろうかと想いを巡らせると、宇宿先生がレッスンして下さったその演奏が「夢」の中で聞こえてくるのです。そんな時には、自分の身体の中に「精霊体」が降臨してくる感覚がシッカリと伝わってきます。その時は、先ず「自分」という感覚が身体から抜けていって、その爽やかな感覚の自分に先生が入って来るのです。
 コンクールを前にした得津武史先生のハラハラ・ドキドキした心の動きも、実感を伴って伝わってきます。また翻って、私が人生に行き詰まったとき、存命中の我が父と(夢の中で)話すと、穏やかな表情でニコニコしながら「それが人生や!」と断言し、そんな苦を感じ、そして、それを乗り越えた時に人生の着地点が明快に示されることを話してくれます。

 まさに、人生とは「四苦八苦」。そして、私たち人間は、それを如何に乗り切るか、それをどのように受け止めるかの(神による)チェックではないかと考えるのです。
 今思い起こすことは、私の先生たちはみんなどんな苦難・苦痛に直面しても、決して愚痴や弱音を吐かず歯を食いしばって頑張って来たのを、私は目の前で直に見てきました。さすれば、私たち人間の人生は、私たちが想像だにできない大きな世界の法に沿うように試されているのかも知れません。我々がこの世に生を与えられたということは、我々が何処まで辛抱できるかを天(神仏)は試しているように思えてなりません。そして、何ごとにもへこたれない挑戦心を創造力の中で培ってゆくことこそ、人生の意味であるように思うのです。

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/